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福永洋一
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■福永洋一■
福永洋一(ふくなが・よういち) 高知県高知市出身
生没年月日・1948年12月18日−
所属団体・日本中央競馬会
所属厩舎・武田文吾
騎手通算成績・5086戦982勝 勝率0.193 連対率0.345
主な勝利・桜花賞2回、皐月賞1回、菊花賞1回、天皇賞・春1回、天皇賞・秋1回
重賞勝利・49勝
■コメント
■福永洋一(天才、変幻自在の騎乗、オッズを変える男)

1968年から1979年まで騎乗。

1979年3月4日の毎日杯のレース中に落馬、引退を余儀なくされました。

一時期は危篤となり、懸命の治療で一命をとりとめ、現在もリハビリを続けているそうです。

福永洋一騎手が落馬が原因で、競馬の中心からいなくなり、「競馬が変わった」と競馬の実況で知られる杉本清氏はいいます。

少なくとも「予測不能なとんでもない騎乗(もちろんいい意味で、サプライズで)」をする騎手がいなくなったことは確かのようです。

杉本清氏によれば、福永洋一騎手は、いわゆる優等生的な騎手・枠にはまる騎手ではなかったといわれます。

強い勝利へのこだわりが感じられたといいます。


■騎手時代
1970年から落馬事故となる前年の1978年まで9年連続リーディングジョッキー。

1972年と1976年から1978年まで年間100勝以上で、落馬事故の前々年の1977年には、JRAの年間最多勝記録を更新(126勝)、さらに落馬事故の前年には、自らの年間最多勝記録を更新(131勝)しています。
(現在のJRA騎手の年間最多勝記録はクリストフ・ルメール騎手が2018年に記録した215勝)
(福永洋一騎手の長男の祐一氏の名の「祐」は、尊敬する先輩騎手であった野平祐二氏の「祐」から命名されたといわれます)

まさに絶頂のさなかの事故だったのです。
(なお、現在、子息が同じJRAの騎手として活躍しています。)

福永洋一騎手を同じ厩舎の先輩で名手といわれた栗田勝騎手と比較して、両騎手を管理した武田文吾調教師が「栗田勝騎手の方が騎手としては上」といったといわれますが、落馬事故後に、福永洋一騎手のことを「3冠馬みたいな騎手」といったといわれますから、福永洋一騎手が慢心しないように気をつかっての言動のようです。

福永洋一騎手は、関東の名手・岡部幸雄騎手、柴田政人騎手と同期で、競馬学校の前身の馬事公苑の「花の15期生」と呼ばれていましたが、その中にあっても、福永洋一騎手は、ダントツの戦績と光を放っていました。

なぜ馬事公苑の「花の15期生」なのか・・・

同期にリーディング・ジョッキーとなる岡部幸雄騎手、柴田政人騎手、もちろん福永洋一騎手本人を出し、さらに岡部幸雄騎手、柴田政人騎手、伊藤正徳騎手の日本ダービージョッキーを出したからです。

同期の日本ダービージョッキーのプロフィールは・・・

岡部幸雄騎手(騎手としてJRAで18646戦2928勝を挙げた名手、武豊騎手の前のJRA騎手の通算最多勝記録保持者、シンボリルドルフの主戦騎手で同馬に全て騎乗した、現在はJRA調教師とはならずフリーの競馬評論家)

柴田政人騎手(騎手としてJRAで11728戦1767勝を挙げた名手、アメリカナイズされ人間関係に比較的ドライに接しフリーとなった岡部幸雄騎手に対して柴田政人騎手は義理と人情を重んじて厩舎所属騎手をとおした、現在はJRA調教師)

□伊藤正徳騎手(騎手としてJRAで2037戦269勝ながら日本ダービー、天皇賞・春を制す、現在はJRA調教師)

福永洋一騎手は、名門・武田文吾厩舎に入ります。

福永洋一騎手が武田文吾厩舎に入るきっかけは、栗田勝騎手の働きかけで、まだ騎手になっていない福永洋一少年に何か名手といわれた栗田勝騎手にしか感じない「才能」を感じたからかもしれません。

井崎修五郎氏によると、まだ、福永洋一騎手が見習い騎手の時代にイギリスの大騎手・レスター・ピゴット騎手が、当時は見習い騎手の福永洋一騎手を指し、「あの騎手はなんという騎手だ?」と聞き、「見習い騎手の福永洋一というものだ」と教えられ、「あの騎手は見習いなのか」と驚いていたエピソードにも世界の大騎手にしかわからない「才能」・「資質」を福永洋一騎手にレスター・ピゴット騎手は感じたのかもしれません。

デビューした頃は、騎乗の「才能」や「勝負」への執念は感じられるものの、粗暴で荒い騎乗で、周りの騎手など競馬関係者の評判も悪かったといわれます。

他の騎手から福永洋一騎手の騎乗についてたびたび苦情を受けていた同じ厩舎の先輩の栗田勝騎手が競馬会の採決委員に、騎乗の検証と、必要に応じて注意勧告を行うように依頼しました

しかし、パトロールフィルムを精査した結果、粗暴に見える騎乗は、ほとんどがぎりぎりの範囲ながら規定内で、注意などは行われませんでした。

デビューからしばらくは「天才」も騎乗技術に試行錯誤したようです。

福永洋一騎手が「天才」といわれるきっかけとなったレース・騎手として転機となったレースは・・・

1971年の菊花賞でニホンピロムーテーに騎乗した弱冠22歳(本来、弱冠とは20歳に使われる言葉といわれるがここではあえて弱冠を使わせていただきました)の福永洋一騎手は、レースがスローペースであることを判断して距離不向きといわれた同馬で残り1500メートルで先頭に立たせる奇策で勝利します。

この騎乗以降、福永洋一騎手は「天才」と呼ばれるようになります。

1972年の天皇賞・秋(当時は現在の2000メートルではなく3200メートル)では、ヤマニンウエーブに騎乗し、パッシングゴールの40メートルの大逃げをゴール前でアタマ差でとらえて優勝しました。

1976年の天皇賞・春では「気まぐれジョージ」といわれたエリモジョージで逃げて、ロングホークの追撃をクビ差抑えて優勝しました。
(このレースで実況した杉本清氏がエリモジョージの逃げ切りに声が続かずにつまったのは有名です)

不良馬場の中、12番人気のエリモジョージは、逃げ切ってしまいます。

さすがの天才・福永洋一騎手も常に「気まぐれジョージ」を掌握とはいかなかったようですが、この天皇賞・春の逃げ粘りと2年後の宝塚記念の圧勝は、福永洋一騎手でなければ、なし得なかったと思います。

「気まぐれジョージ」を巧みに操った福永洋一騎手の好騎乗ぶりがうかがえるレースでした。

「気まぐれジョージ」エリモジョージは、福永洋一騎手の好きな馬として知られます。

福永洋一騎手の「凄み」を感じさせる騎乗が、1977年の皐月賞のハードバージでの騎乗です。

1977年の皐月賞ではハードバージに騎乗して優勝しましたが、直線で内埒のわずかの隙間いっぱいを鋭く追い込んだ福永洋一騎手騎乗のハードバージは、伊藤正徳騎手騎乗のラッキールーラを差し切って勝ちました。

同レースに騎乗し敗れたラッキールーラ(2着)の伊藤正徳騎手は「(内)埒の上を走ってきたかと思った」そうです。

また、アローバンガード(3着)に騎乗していた柴田政人騎手から「神業に見えた」といわれます。

福永洋一騎手の技術と勝負への執念が感じられます。

代表的な伝説的騎乗を挙げましたが、他にも多くの伝説的騎乗があります。


■福永洋一の騎乗1
福永洋一騎手は、いわゆる「走らない馬」でも走らせたといわれます。

他の騎手が乗っても走らない馬を福永洋一騎手が乗るとなぜか走ったといいます。

その理由は、名手といわれた田原成貴騎手、的場均騎手らも「わからなかった」という主旨の発言を異口同音にしています。

しかし、とにかく「走った」のです。

「馬券が分からなければ(福永)洋一から買え」といわれたといいます。

そのため、福永洋一騎手騎乗の馬は人気となり、他の騎手が乗る時よりもオッズ(馬券の倍率)が下がるため、「オッズを変える男」といわれました。

福永洋一騎手の騎乗は、臨機応変、柔軟性に富んでいました。

逃げ、先行、差し、追い込みとまさに「変幻自在の騎乗」で勝利を重ねていったのです。

そして、「歩く競馬四季報」とよばれるほど競馬に取り組む人一倍の研究熱心さをもつ努力家でもあったといわれます。

福永洋一騎手は決められた約束をすっぽかすこともあったようですが「洋一スマイル」といわれる独特の微笑で、相手は怒る気をなくしたといわれます。

福永洋一騎手は、笑顔・人間関係のコミュニケーションも「超一流」だったようです。

いいだしたことをひっこめない「がんこ」さもありましたが、基本的に先輩などのいうことを素直に聞き入れ、先輩を立てる謙虚さをもち、福永洋一騎手は人間関係なども「達人」だったようです。

福永洋一騎手は、走らない馬でも走らせ、変幻自在の騎乗と人一倍の研究熱心さがあったからこそ、リーディングジョッキーに君臨し続け、「天才」と呼ばれたのだと思います。

福永洋一騎手は、落馬負傷により騎手引退となりましたが、福永洋一騎手が無事であったら、田原成貴騎手、河内洋騎手の活躍や存在も小さかったかもしれませんし、武豊騎手の活躍や存在も小さかったかもしれません。

現在のJRAでは武豊騎手が「天才」と呼ばれ、素晴らしい騎乗技術と数々のJRA騎手記録を保持していますが、個人的には福永洋一騎手のほうが「天才」としては上だと思います。
(もちろん武豊騎手も凄い騎手だとは思いますが、福永洋一騎手はそれだけ凄かったと思います)

福永洋一騎手を武豊騎手と比較した場合、騎乗技術は日進月歩で、環境的にも現在のほうが恵まれ、フリーの存在、馬事公苑出身(福永洋一騎手)と競馬学校出身(武豊騎手)、世界の競馬が身近になったの違いなどもあり、技術的には武豊騎手のほうが上かも知れないが、こと「勝負」に関しては、福永洋一騎手のほうが上だと思います。
(2012年5月現在)

福永洋一騎手が騎手として活躍した時代は、現在のようなフリーの存在が一般的でなく、厩舎所属が一般的な時代で、騎乗環境が大きく違い、フリーが一般化した現在なら、福永洋一騎手はもっと多くの勝ち星を挙げていたかもしれません。
(2012年5月現在)

フリーを後に一般化させたのは、アメリカナイズされ人間関係にドライな岡部幸雄騎手で、人間関係や義理・人情を重んじた柴田政人騎手は、引退まで厩舎所属騎手の立場を貫きました。

岡部幸雄騎手、柴田政人騎手の両騎手は、ともに福永洋一騎手と同期で、日本を代表する名騎手ですが、フリーと厩舎所属と立場が分かれたのは、彼らの生き方、考え方の違いかもしれません。

ちなみに彼らの尊敬する先輩騎手であった野平祐二氏は、岡部幸雄騎手を「岡部君」、柴田政人騎手のことを「政人」と呼んでいたといわれます。
(この呼び方の違いにも彼らの人間性、人間関係の違いを感じます)

落馬負傷のため引退するまで、岡部幸雄騎手、柴田政人騎手という福永洋一騎手の同期でもある日本を代表する名騎手のはるか「先」を勝ち進んでいた福永洋一騎手は、われわれの常識をはるかに超える「天才」騎手だったと思います。

福永洋一騎手の通算戦績は5086戦983勝、現在ではJRA騎手で多くの1000勝騎手が誕生し、福永洋一騎手を勝利記録では多くの騎手が上回っていますが、前述の岡部幸雄騎手、柴田政人騎手、福永洋一騎手の後に「天才」といわれた田原成貴騎手、「名手」といわれた的場均騎手など多くの競馬関係者も福永洋一騎手を異口同音に「別格の騎手」としてその天才ぶり、騎乗ぶりの凄さを絶賛しており、記録はもちろん記録以上にとんでもなく凄い騎手だったと思います。

福永洋一騎手は、2004年に騎手顕彰に選出されて、競馬殿堂入りしていますが、調教師顕彰が選考基準を「1000勝以上」と明記しているのに対し、騎手顕彰は選考基準を「概ね1000勝以上」としたのは福永洋一騎手の競馬顕彰選出を意識したものと思われます。

■福永洋一の騎乗2
ファンの「期待の騎乗」をして「走る馬を期待どおり走らせる」武豊騎手に対し、福永洋一騎手はファンの「期待以上の騎乗」をし、「走らない馬でも走らせてしまう」という「凄さ」があったと思いますし、追走に苦労していた馬であっさりと逃げ切ってしまったり、逃げ馬で差し・追い込みを見事に決めたりと、競馬関係者でさえ思いつかない着想と戦略・戦術の騎乗で変幻自在に勝利する福永洋一騎手はまさに「洋一マジック」でした。

的場均騎手がどう乗っても走らなかった馬に、福永洋一騎手が乗り代わりで騎乗してあっさり勝利し、同騎手が驚愕したともいわれます。

この驚愕の勝利を目の当たりにし、的場均騎手が福永洋一騎手に「どうしたら勝てるのか」といった質問をし、福永洋一騎手は「自分で考えてみるんだな」と答えたといわれます。

アマチュアの競馬ファンはもちろん、プロの競馬関係者でさえ、福永洋一騎手の騎乗の予測や想定、なぜ勝てるのかといった理由が完全に出来なかった「天才」騎手だったと思います。

※天才・福永洋一の子息(長男)・祐一が、2018年の第85回日本ダービーに、ワグネリアンに騎乗し、19回目の挑戦で日本ダービー初制覇・・・
悲願のダービージョッキーとなった。
洋一も日本ダービーには、勝っておらず、ある意味「福永家」の悲願でもありました・・・

天才ジョッキー福永洋一(VHS)
天才騎手福永洋一の激動の騎手人生の軌跡


□福永洋一騎手の騎手成績

年度 騎乗数 1着 2着 3着 着外 勝率  連対率 全国順位
1968年 132 14 12 19 87 0.121 0.207 82
1969年 320 45 34 33 208 0.140 0.246 11
1970年 557 86 70 77 324 0.154 0.280
1971年 542 92 70 80 300 0.170 0.299
1972年 496 105 72 58 261 0.212 0.357
1973年 453 80 85 60 228 0.177 0.364
1974年 433 88 69 51 225 0.203 0.363
1975年 497 86 90 69 252 0.173 0.354
1976年 513 106 72 58 277 0.207 0.347
1977年 530 126 95 60 246 0.238 0.417
1978年 503 131 83 62 237 0.260 0.425
1979年 110 24 18 14 54 0.218 0.382 28
5086 983 770 641 2942 0.193 0.345  



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