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吉田義男
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■吉田義男■野球選手■牛若丸

右投右打

身長167センチ、体重56キロ

1933年7月26日−


吉田義男(よしだ・よしお)は、現役時代は、華麗かつ堅実な守備の阪神の遊撃手で小柄な体格から「牛若丸」ともいわれた

現役引退後は、阪神監督として3度のリーグ優勝に導き、1985年には日本一にもなっている

阪神監督は3度務めた

1990年から1995年まで野球フランス代表監督も務め、「ムッシュ」とも呼ばれた

現役時代の背番号「23」は、阪神の永久欠番

■履歴
▼プロ入り前
旧制京都第一商業高校(京都第一商)在学中からプロから注目される

戦後の学制改革による京都第一商の廃校により新制府立山城高校に編入

1950年夏の甲子園に遊撃手で出場するも1回戦敗退

1951年の夏の甲子園府予選は決勝で敗退

卒業後は立命館大に神学し、1年からレギュラーで活躍す中退し、るも1953年に阪神に入団

▼プロ
阪神では、俊足巧打・攻守の遊撃手としてレギュラーでプレー

1954年、1956年の2回盗塁王となる

1957年にリーグ3位の打率2割9分7厘

1962年のリーグ優勝に貢献し、日本シリーズで34打数16安打5打点で日本シリーズの敢闘賞と首位打者賞を獲得するもチームは東急に敗れ日本一を逃す

1964年にもリーグ優勝に貢献し、生涯唯一のシーズン打率3割(3割1分8厘・リーグ3位)、当時のプロ野球記録の179打席無三振を記録

1969年はコーチ兼任で藤田平の台頭で同年で現役引退

現役時代の背番号「23」は、1987年に阪神の永久欠番に


▼現役引退後
現役引退後は、1974年まで解説者

解説者時代にステーキ店を経営するも、経営難で閉店

引退後の一時期、日本楽器の臨時コーチ

1975年から1977年まで阪神の監督

1978年から1984年まで解説者

1985年から2度目の阪神監督

この年は、ランディ・バースの打撃3冠王など打線が爆発

リーグ優勝をし、現役時代のライバル・広岡達朗監督の西武との日本シリーズも勝ち、日本一

シーズン終了後に正力松太郎賞受賞

翌1986年は、バースが2年連続打撃3冠王を獲得するが3位

投手起用法をめぐりコーチの米田哲也と対立し、シーズン終了後に米田は退団

翌1987年は、バースの監督批判、打撃コーチ補佐の竹ノ内雅之との対立で竹ノ内の退団などもあり、チームは最下位

シーズン終了後に退任

ただし、球団は吉田の退任にあたり吉田の現役時代の背番号「23」を永久欠番にし、「優勝監督」として3000万円の功労金を出している

監督退任後の1989年にに渡仏

1990年から1995年に野球フランス代表の監督

1992年に野球殿堂入り(日本)

1993年まではクラブチーム・パリ大学クラブの監督

帰国後、芸能活動など

1997年から3度目の阪神監督

その1997年が5位

翌1998年が故障者や貧打に泣き最下位の6位でシーズン終了後に退任

この時期の育成・補強が2003年のリーグ優勝へ

1999年から解説者

2000年から評論家

2001年からマスターズリーグの大坂ロマンスの監督

2007年に勇退

2010年に甲子園歴史館の顧問

2011年7月にフランス野球・ソフトボール連盟の名誉会員

同年11月に国際野球連盟の委員

2014年に自身が主催する国際大会の冠名をフランス国際野球大会吉田チャレンジと命名

■野球選手としての特徴
華麗で俊敏な守備は「蝶が舞い鉢が刺す」「史上最高の遊撃手」と絶賛され、「今牛若丸」と呼ばれた

1955年の日米野球では「吉田の守備はメジャーでも通用する」との評価も
巨人の広岡達朗とはライバルの遊撃手だったが、吉田がベストナイン9回に対し、広岡は1回で現役時代は吉田の勝利、監督での評価は広岡が上だが、1985年の日本シリーズでは、阪神・吉田が西武・広岡に勝っている

当時の名解説者・小西得郎がプロ野球3人の名遊撃手の特徴を「
阪神の吉田(義男)は麻糸、西鉄の豊田(泰光)は木綿糸、広岡(達朗)は絹糸」(広岡は絹糸は共通だが、吉田が木綿糸、豊田が麻糸の説もあるが、吉田は私(吉田)・麻糸、豊田・木綿糸、広岡・絹糸と発言)と評した

藤田平の台頭した現役最晩年は三塁の守備も

通算1864安打の打撃も粘り強く三振が少なかった

400勝投手金田正一が吉田を苦手とした

4度のシーズンリーグ最多犠打、通算264犠打は当時のプロ野球記録

2度の盗塁王を獲得

通算350盗塁は2009年に赤星憲広に更新されるまでの球団記録



打撃成績・・・
17年、打率2割6分7厘、66本塁打、434打点、350盗塁、264犠打、329三振
盗塁王2回(1954年・1956年)
最多安打1回(1955年)(当時は表彰なし)
ベストナイン9回(1955年ー1960年・1962年・1964年)
正力松太郎賞受賞1回(1985年)
オールスターゲームMVP1回(1956年第2戦)

野球殿堂入り(日本)(1992年)



牛若丸の履歴書(日経ビジネス人文庫)
牛若丸・吉田義男の自伝


監督成績・・・
8年、1051試合、484勝311敗敗36分、勝率4割8分6厘

日本一1回、リーグ優勝1回(いずれも1985年)
Aクラス4回、Bクラス4回



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