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■手塚治虫■漫画家■漫画の神様

手塚治虫を知るおすすめ作品

▼日本のストーリー漫画とアニメーションのパイオニア

手塚治虫(てづか・おさむ)は、映画の構図をコマの手法に取り入れ、日本のストーリー漫画とアニメーション制作を確立した手塚治虫は、長く日本の漫画界、アニメーション界を牽引し、その業績から「
漫画の神様」といわれました。
本名・治(おさむ)。
 
1928年(昭和3年)11月3日に生まれ、1989年(平成元年)2月9日に亡くなりました。享年60。
 
大阪大学の医学生時代に漫画家デビューした手塚は、1947年に当時としては驚異的な発行部数(40万部!)となった「新宝島」で、それまでになかった長編ストーリー漫画のジャンルを作り上げました。
 
国産初のアニメ「鉄腕アトム」、国産初のカラーアニメ「ジャングル大帝」のいずれも手塚の作品であり、手塚は、このアニメーション制作にも関わりました。
 

しかし手塚がアニメ制作を低予算で引き受けたことに対する批判もあります。


▼手塚治虫の影響力とライバル心
石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫など漫画界の中心で活躍した多くの漫画家が、手塚の影響を大きく受けたことから、手塚の影響力の大きさは「
手塚山脈」とも呼ばれました。
(手塚が一時住んでいたアパート・「
トキワ荘」に彼らが集まり住んだ時期があることから、トキワ荘は、「漫画家の梁山泊」ともいわれました)

手塚は、多くの漫画家に多大な影響力を与えた一方で、彼自身も多くの漫画家から多大な影響を受けました。

手塚が影響を受けたりライバルと認めた主な漫画家を以下に挙げてみます。


福井英一・・・
スポーツジャンルの漫画「イガグリくん」で人気を博すも、過労により若くして急逝・・・
手塚が描けないスポーツジャンルの漫画で人気を博しただけに、ある意味、
手塚最大のライバルだったかもしれません。

水木しげる・・・
「ゲゲゲの鬼太郎」などの妖怪漫画のジャンルを開拓しました
手塚は、水木に対抗して「どろろ」などの妖怪漫画を描きます。

石ノ森章太郎・・・
「サイボーグ009」、「仮面ライダー」などで人気を博しました
質、量において手塚に匹敵する漫画家であり、手塚に最も近い才能を発揮した漫画家といえるかもしれません。
石ノ森は、前述したとおり、手塚を目標に漫画を描き始め、上京してトキワ荘に住んでいたことがあります。

宮崎駿・・・
「千と千尋の神隠し」でアカデミー賞の長編アニメ部門を受賞したのを始め、多くの大ヒットアニメを手がけます
手塚がこだわり続けたアニメ制作において世界的成功をおさめており、手塚の夢を本人の意思とは別としても引き継いだといえます。
宮崎は、手塚に対して、アニメ制作を低予算で引き受けたことなどを批判する一方で、漫画家としての影響力などには、尊敬の念を持っていたといわれます。

大友克洋・・・
「AKIRA」などの精密で斬新な作品を手がけ、世界的評価を獲得します
手塚にデッサン力の無さを自覚させ、手塚の作品に細かい描写への変化をもたらしました。
大友は、手塚に高い尊敬の念を持っていたといわれます。


手塚は、漫画家個人だけでなく、漫画のジャンルにおいても影響を受けています。

「劇画」ブームの時代に作品に劇画の影響を受けた細かい描写への変化があります。

この影響は、後に大友の登場で、さらに緻密な細かい描写へ変化することになります。


手塚は、若い新人であっても強いライバル心を見せた
といわれます。

常に漫画界の中心にあり続けたい、漫画を描き続けたいという思いが、他の漫画家への強いライバル心となったのでしょう。

▼エピソード
手塚には、天才らしいエピソードが数多くありますが、いくつか挙げてみます。

手塚は自分のデッサン力の無さを自覚していたといわれますが、小学校時代に自身で作った「昆虫図鑑」の昆虫のデッサンは非常に正確で緻密でした。


手塚の作品は丸を基本としており、そのためかフリーハンドでかなり正確な円を描けたといわれます。


晩年は、円が思うように描けなくなったと発言しています。


藤子不二雄・Aによると手塚は、「未来の日記」をつけていて、実際に日記のとおりになったとテレビで発言していました。
ある種の予知能力を持っていたのか!?



多忙を極めた手塚は、3つのジャンルも内容の異なる作品を同時進行で描いたこともあるといわれます。
混乱することなく、順調に描き進めていたといわれます。


インターネットはもちろんカラーコピーやFAXも無い時代に電話のみでカラーの指定をアシスタントに細かく正確にしたといわれます。


劇画やスポーツ根性モノが人気を博した時代に、手塚はスランプに陥り、手塚は「
時代遅れの終わった漫画家」といわれるようになります。

手塚の引退作品として編集者が位置づけて発表されたのが、後に名作といわれる「ブラック・ジャック」でした。

この作品は、当初の短期での連載から、長期連載に変わり、やがて代表作の一つに数えられるようになりました。

まさに「ブラック・ジャック」は、手塚治虫の奇跡の復活のきっかけとなりました。


▼アイデアは無限

数多くの作品、数多くのジャンルの漫画を描いた手塚は、晩年になっても「アイデアはバーゲンセールするほどある」と語ったように、個々の作品を生み出す苦しみはあっても、漫画全体におけるアイデアの枯れることのない漫画の天才でした。

漫画を生み出す際に最も苦しむのがアイデアだといわれますが、晩年に「円が思うように描けなくなった」と筆力の衰えを感じつつも、アイデアは枯れることなく、無限だったようです。

ライフワークだった「火の鳥」などいくつかの作品は未完となってしまいましたが、天才が未完の作品にどのような結論を導こうとしていたのか・・・・。

残念ながら、このことは永遠(永久)の謎となってしまいました。



▼生涯一漫画家
若い新人の漫画家にも強いライバル心を持ち、晩年にも原稿の持ち込みを行うなど、手塚がこだわったのは、「現役の漫画家」であり、「生涯一漫画家」でした。

そのため安い原稿料で、その分多くの作品を描きたいと願ったともいわれます。

手塚治虫が最期に遺した言葉は「仕事をする。仕事をさせてくれ。」だったといわれます。


天才・手塚治虫の考えたこと、メッセージなどが「ぼくのマンガ人生(岩波新書)」に書かれています・・・
手塚治虫の自伝・・・



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