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福本豊
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■福本豊■野球選手■通算盗塁1065

左投左打

身長169センチ、体重68キロ

1947年11月7日−


福本豊(ふくもと・ゆたか)は、通算1065盗塁を決め、数字の上で当時の世界記録保持者で、現在も日本プロ野球記録保持者

通算2543安打の確実性と通算208本塁打のパンチ力もある

通算1065盗塁、シーズン106盗塁、通算299盗塁死の盗塁のプロ野球記録を持ち、足の速さと関係する通算115三塁打もプロ野球記録

通算1065盗塁は、2位の広瀬叔功の596盗塁に大差をつけている

阪急の黄金時代を山田久志、長池徳二、加藤英司らと支えた


■履歴
▼プロ入り前
大坂に生まれ、小学校で「三角ベース」で野球に出会う

大阪府内で転居し、中学で硬式野球部所属

2年まで補欠だったが、3年で一塁のレギュラー

大鉄高に進学し、1年生ながら夏の地区予選で右翼手のレギュラー

2年の秋以降は、「1番・中堅手」

1965年の高校3年の夏に、第47回全国高等学校野球選手権大会に出場するも、1回戦敗退

卒業後は、社会人野球の松下電器に入り、俊足を評価され「広瀬叔功(当時の盗塁のスーパースター)になれ」と監督に期待される

ちなみに、広瀬は福本が「神様」と呼ぶ憧れの存在

1年目の1966年から外野手のレギュラーで、同年の都市対抗に出場し、社会人3年目の1968年には、同僚の加藤秀司(後の英司)とともに、富士製鐵広畑のッ補強選手として、都市対抗に出場し、チームを優勝に導く

同年の社会人ベストナイン

同年秋のドラフトで阪急に7位指名

▼プロ
プロ入り当初は全く期待されていなかったが、1年目も1969年から1軍だったが、2軍行きを命じられたり伸び悩む

入団当初の背番号は「40」

2年目の1970年にレギュラーに定着し、75盗塁で盗塁王

1972年から背番号が「7」に変わり、同年は、日本プロ野球史上初の3桁盗塁

達成当時は、モーリー・ウィルスの大リーグ記録のシーズン104盗塁を上回る106盗塁の数字の上で「世界記録」だった

これで史上初のパ・リーグMVPと盗塁王の獲得

1977年7月6日の南海戦で、四回に二盗を決め、それまで広瀬叔功が保持していた596個の通算最多盗塁のプロ野球記録を更新
(広瀬は、この時、中堅手の守備に就いており、グラウンド上で記録更新を目撃している)

その後も1982年まで13年連続盗塁王を獲得

初めて盗塁王を獲得してからは、特別なケースを除き、ベンチから盗塁の指示が出ることはなくなった

福本は、自由に走れるようになった

1971年からの8年間で6回のリーグ優勝、さらに3年連続の日本シリーズ優勝にも貢献

阪急が初めて巨人に勝った1976年の日本シリーズでは、打率4割0分7厘、2本塁打で、日本シリーズMVPに輝いている

1983年6月3日の西武戦Iでは、九回に三盗を決め、当時ルー・ブロックが保持していた大リーグ記録の通算盗塁を上回る939盗塁を記録

「世界記録」は、本拠地(西宮球場)で決めたかったようだが、相手の執拗なけん制に「カッとなって」西武の本拠地の西武ライオンズ球場で「走ってしまった」ようだ

大リーグ記録を超えた後、国民栄誉賞を打診されるが、「立ちションも出来んようになる」と辞退したといわれる

同年9月1日のロッテ戦で通算2000安打達成

このシーズンは、55盗塁に終わり、13年連続盗塁王で、近鉄の大石大二郎の60盗塁に阻まれる

以後、シーズンの盗塁数は、36,23、23,6と減り、1988年10月23日に、阪急監督の上田利治が現役引退する山田久志と現役を続ける福本を評し、「去る山田久志。残る福本」と言うべきを「去る山田、そして福本」と言い間違い、福本は、「上田監督が言うなら辞めます」とあっさり現役引退・・・
通算盗塁数は、1065個だった

▼現役引退後
引退後の1989年は、オリックスの一軍打撃コーチ、1990年から1991年まで同二軍監督、1992年から1997年まで野球解説者

この間の1992年6月16日に、大リーグのリッキー・ヘンダーソンが福本の通算盗塁数を超える1066個の盗塁を記録

1998年に阪神の一軍打撃コーチに就任、しかし監督が野村克也に交代した翌1999年に、一軍外野守備・走塁コーチに配置替絵となり、その年退任

2000年から野球開設者・野球評論家

2002年に野球殿堂入り(日本)

2006年1月から大学野球部の特別コーチ

2016年2月には、臨時コーチで打撃や走塁を指導

■盗塁
福本の盗塁は、投手のクセを研究・考察し、有能な2番打者の存在と「サポート」も大きかった

福本も「(自分の)盗塁成功には、有能な2番打者が重要」の主旨の発言

福本の盗塁対策で、南海と野村克也は、今では一般的になった盗塁を阻止する投手のクイックモーションを考え、他球団も福本の盗塁対策を考えたが、そんな包囲網の中で、福本は盗塁を重ねた

福本は、走るづらかった投手の一人として巨人・堀内恒夫を挙げている

上記のような日々の研究・考察も大事だが、盗塁に必要なのは「思い切り」だといっている

広瀬叔功は、ここ一番の場面で盗塁する「質」にこだわったが、福本は「無駄な盗塁はない」として、盗塁の「量」にこだわった

福本は、盗塁だけだなく、打撃も非凡な打者だったが、守備も俊足を生かした広い守備範囲で「名手」といわれた

肩の強さも「そこそこ自信があった」といっている



打撃成績・・・

20年、2401試合、8745打数2543安打、208本塁打、884打点、1065盗塁、打率2割9分1厘

MVP1回
盗塁王13回(13年連続)、最多安打4回(当時は表彰なし)
ベストナイン10回
ダイヤモンドグラブ賞12回
日本シリーズMVP1回
オールスターゲームMVP3回(1873年第2戦、1974年第2戦、1983年第1戦)
※シーズン、日本シリーズ、オールスターゲームでの全てのMVP
サイクルヒット1回
野球殿堂入り(日本)(2002年)



福本豊ー快速に夢をのせて
通算盗塁1065の福本豊の栄光の軌跡

巧守巧走列伝(ビデオ)
スポーツ雑誌「Number」のビデオ「巧守巧走列伝」



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