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歴代横綱メモ(21代〜30代)
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■歴代横綱メモ(21代〜30代)■

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四股名(ふりがな)〜生没年月日〜出身地
当該横綱に関する簡単なメモ  注)横綱在位は横綱在位(推挙年齢-引退年齢)を示す
 
21代 若島 権四郎(わかしま ごんしろう)〜明治9(1876)年1月19日−昭和18(1943)年10月23日〜千葉県〜大坂相撲
21代横綱、雲竜型
横綱在位・明治38(1905)年4月-明治40(1907)年1月(30-31)
本名・高橋 権四郎→加藤 権四郎
身長178cm、体重116kg
幕内通算成績(大坂相撲において優勝4回)
最初は東京で相撲を取るも病気などもあり脱走、心機一転し大坂で相撲を取った。
大坂相撲における最強力士で、大坂相撲では初の正式な横綱となった。
やはり後に大坂相撲で正式な横綱となる大木戸森右エ門に2敗した以外は圧倒的な強さだった。
東京との合同相撲でも常陸山以外には、大砲や梅ヶ谷と互角の力だった。
22代 太刀山 峰右エ門(たちやま みねえもん)〜明治10(1877)年8月15日−昭和16(1941)年4月3日〜富山県
22代横綱、不知火型
横綱在位・明治43(1910)年6月-大正6(1917)月1月(33-40)
本名・老本 弥次郎
身長188cm、体重150kg
幕内通算成績 31場所 195勝27敗10分5預73休、勝率8割7分8厘、優勝相当2回、優勝9回
(横綱成績 14場所 84勝3敗1分1預51休、勝率9割6分6厘、優勝7回)
その強烈な突っ張りは、二突きとは耐えられないとの意味で、一突き半から1月半で「四十五日の鉄砲」と恐れられた。
突き押し相撲だったが、四つでも呼び戻しという強烈な技があり、菊人形の仕掛けになぞらえて仏壇返しとも呼ばれた。
43連勝して1敗を挟んで56連勝、その1敗も「勝ちを譲った」と自身が語ったといわれるほどの強豪で、特に大関、横綱になってからは無敵の強さを誇った。
詳細は史上最強力士RANKING内の太刀山峰右エ門を参照
23代 大木戸 森右エ門(おおきど もりえもん)〜明治11(1878)年11月2日−昭和5(1930)年11月7日〜兵庫県〜大坂相撲
23代横綱、雲竜型
横綱在位・大正2(1913)年1月-大正3(1914)年1月(34-35)
本名・内田光蔵
身長177cm、体重120kg
幕内通算成績(大坂相撲において優勝10回)
大坂相撲で正式な横綱となった2人目で、1人目の若島の引退の時期と入れ替わるように最強力士として無敵の強さを誇った。
一突き半から1月半で「四十五日の鉄砲」と恐れられた同時代の太刀山と同じく強烈な突っ張りを武器とした。
24代 鳳 谷五郎(おおとり たにごろう)〜明治20(1887)年4月3日−昭和31(1956)年11月16日〜千葉県
24代横綱、雲竜型
横綱在位・大正3(1914)年6月-大正8(1919)年4月(27-33)
本名・滝田 明
身長174cm、体重112kg
幕内通算成績 24場所 108勝49敗7分8預66休、勝率6割8分8厘、優勝2回
(横綱成績 11場所 35勝24敗1分1預49休、勝率5割9分3厘、優勝0回)
大酒飲みで知られたが、巡業での横綱土俵入りで、飲酒の影響で尻餅をつき、土俵入りの手順も忘れ、周りに助けられながら土俵入りを行ったことがある。
25代 西ノ海 嘉治郎(にしのうみ かじろう)〜明治13(1880)年2月6日−昭和6(1931)年1月27日〜鹿児島県〜2代
25代横綱、雲竜型
横綱在位・大正4(1915)年5月-大正6(1917)年7月(36-38)
本名・牧瀬 休八→近藤 休八
身長185cm、体重139kg
幕内通算成績 25場所 106勝38敗27分9預70休、勝率7割3分6厘、優勝1回
(横綱成績 5場所 14勝4敗33休、勝率7割7分8厘、優勝0回)
大関時代に当時43連勝中の太刀山に土をつけた。
26代 大錦 卯一郎(おおにしき ういちろう)〜明治24(1891)年11月29日−昭和16(1941)年5月13日〜大阪府
26代横綱、雲竜型
横綱在位・大正5(1916)年5月-大正11(1922)年1月(25-31)
本名・細川 卯一郎
身長175cm、体重143kg
幕内通算成績 17場所 119勝16敗3分32休、勝率8割8分1厘、優勝5回
(横綱成績 12場所 77勝9敗2分33休、勝率8割9分5厘、優勝4回)
当時の力士としては珍しい旧制中学を卒業して相撲界へ入った。
入門前に常陸山にローマ字で送った手紙にローマ字で返事があったことに感動して入門したといわれる。
入幕の翌場所に小結、さらに翌場所には関脇を飛び越えて大関となり、6場所目には横綱となるという今後も破られないであろうスピード出世を果たした。
稽古場では強くはなかったが、本場所に強く、速攻の取り口を完成させた頭で取る一番相撲の名人であった。
3連覇をするなど同部屋の栃木山と一時代を築いたが、余力を残してあっさり引退、廃業する。
都内で旅館を経営しながら早稲田大学に入学し、卒業後は新聞社で今でいう相撲評論家となった。
詳細は史上最強力士RANKING内の大錦卯一郎を参照
27代 栃木山 守也(とちぎやま もりや)〜明治25(1892)年2月5日−昭和34(1959)年10月3日〜栃木県
27代横綱、雲竜型
横綱在位・大正7(1918)年2月-大正14(1925)年5月(26-33)
本名・横田 守也→中田 守也
身長172cm、体重103kg
幕内通算成績 22場所 166勝23敗7分4預24休、勝率8割7分8厘、優勝9回
(横綱成績 15場所 115勝8敗6分3預22休、勝率9割3分5厘、優勝7回)
入門から21連勝をするなど入幕までわずか3敗したのみのスピード出世をした。
小結時代に、当時無敵の太刀山の56連勝を止めた。
小兵で歴代横綱では最軽量ながらボクサー並みの体調管理で理想体重を保ち、押し相撲を完成させ一時代を築いた強豪。
3連覇をした後の翌場所直前に突如引退を表明し、周囲を驚かせた。
抜群の実績から分家を認めない基本方針の出羽ノ海部屋から特別に分家を認められ春日野部屋を興した。
引退から6年後に第1回全日本力士選手権に年寄・春日野として参戦し、現役の玉錦、天竜らを下して優勝をしてしまう。
詳細は史上最強力士RANKING内の栃木山守也を参照
28代 大錦 大五郎(おおにしき だいごろう)〜明治16(1883)年3月22日−昭和18(1943)年5月18日〜愛知県〜大坂相撲
28代横綱、雲竜型
横綱在位・大正7(1918)年5月-大正12(1923)年1月(35-38)
本名・山田 吉三郎→鳥井 吉三郎
身長176cm、体重113kg
幕内通算成績(大坂相撲で優勝6回)
大坂相撲で若島、大木戸に続く3人目の正式な横綱となった。
29代 宮城山 福松(みやぎやま ふくまつ)〜明治28(1895)年2月27日−昭和18(1943)年11月19日〜岩手県〜大坂→東京
29代横綱、雲竜型
横綱在位・大正11(1922)年2月-昭和6(1931)年3月(26-36)
本名・佐藤 福松
身長173cm、体重113kg
幕内通算成績(大坂相撲で優勝4回)90勝70敗1痛分26休、勝率5割6分3厘、優勝2回
最初は東京で相撲を取るも廃業、大坂相撲に移った。
大坂相撲で4人目の正式な横綱となる。
その後、合併で大坂から東京に加入し、2回の優勝をするも、全盛期を過ぎており、全体的には不本意な成績だった。
30代 西ノ海 嘉治郎(にしのうみ かじろう)〜明治23(1890)年11月2日−昭和8(1933)年7月28日〜鹿児島県〜3代
30代横綱、雲竜型
横綱在位・大正11(1922)年5月-昭和3(1928)年10月(32-37)
本名・松山 伊勢助
身長185cm、体重124kg
幕内通算成績 30場所 134勝60敗2分2預116休、勝率6割9分1厘、優勝1回
(横綱成績 15場所 49勝19敗1預95休、勝率7割2分1厘、優勝1回)
小心のためか仕切りが長かったといわれる。

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