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歴代横綱メモ(31代〜40代)
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■歴代横綱メモ(31代〜40代)■

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四股名(ふりがな)〜生没年月日〜出身地
当該横綱に関する簡単なメモ  注)横綱在位は横綱在位(推挙年齢-引退年齢)を示す
 
31代 常ノ花 寛市(つねのはな かんいち)〜明治29(1896)年11月23日-昭和35(1960)年11月28日〜岡山県
31代横綱、雲竜型
横綱在位・大正13(1924)年1月-昭和5(1930)年10月(27-33)
本名・山野辺 寛市
身長177cm、体重117kg
幕内通算成績 34場所 221勝58敗8分6預68休、勝率7割9分2厘、優勝10回
(横綱成績 20場所 131勝31敗3分1預54休、勝率8割0分9厘、優勝8回)
優勝制度制定後に初の2ケタ優勝を果たした。
師匠の出羽ノ海(常陸山)が常ノ花が横綱になったら愛用のステッキを譲りたいといった主旨の発言をしていたといわれる。
出羽ノ海は、常ノ花が横綱になる前に亡くなったが、常ノ花を部屋の継承者として期待していたのかもしれない。
結果的に常ノ花は、常陸山から両国梶之助を経て出羽海部屋を継承している。
年寄としても角界に貢献し、元力士としては初の相撲協会理事長となり、蔵前国技館建設などに尽力するが、責任感の強さからか精神的に追い詰められ、ガス自殺を図る。
発見が早く一命は取りとめたが、この事件後、理事長を退き、相談役となった。
32代 玉錦 三右エ門(たまにしき さんえもん)〜明治36(1903)年12月15日-昭和13(1938)年12月5日〜高知県〜現役死
32代横綱、雲竜型
横綱在位・昭和8(1933)年1月-昭和13(1938)年5月(28-35)
本名・西ノ内 弥寿喜
身長173cm、体重135kg
幕内通算成績 38場所 308勝92敗3痛分17休、勝率7割7分0厘、優勝9回
(横綱成績 12場所 104勝18敗1痛分15休、勝率8割5分2厘、優勝4回)
体格にも素質にも恵まれておらず、小部屋の悲哀も味あいながら、抜群の稽古量で強くなっていった。
猛稽古により包帯と膏薬だらけの姿から「ボロ錦」などといわれたという。
まだ初土俵を踏む前の頃、太刀山が「儂を背負って土俵を一周したら米1俵やるぞ」と言ったのを聞きつけ、最初の挑戦では失敗したものの、2度目の挑戦で成功したエピソードは負けん気の強さを示すもの。
喧嘩好き、親分肌の性格で「ケンカ玉」「ゴロ玉」などのニックネームもある。
角界の第一人者として双葉山が台頭するまで一時代を築いた。
しかし負けん気の強さが災いし、虫垂炎の処置が遅れて現役死したのは惜しまれる。
二枚鑑札で、二所ノ関部屋を大部屋に育てた功績も大きい。
詳細は史上最強力士RANKING内の玉錦三右エ門を参照
33代 武蔵山 武(むさしやま たけし)〜明治42(1909)年12月5日-昭和44(1969)年3月15日〜神奈川県
33代横綱、雲竜型
横綱在位・昭和11(1936)年1月-昭和14(1939)年5月(25-29)
本名・横山 武
身長185cm、体重116kg
幕内通算成績 28場所 174勝69敗2分71休、勝率7割1分6厘、優勝1回
(横綱成績 8場所 15勝15敗80休、勝率5割0分0厘、優勝0回)
当時の力士としては長身(185cm)で、同じ長身(191cm)の朝潮(後の男女ノ川)ととも将来を期待された。
しかし玉錦が壁となり、さらに右肘を故障し、横綱にはなったものの苦闘の土俵だった。
右腕が強力だっただけに右肘の故障はあまりにも痛かったし惜しまれる。
34代 男女ノ川 登三(みなのがわ とうぞう)〜明治36(1903)年9月17日-昭和46(1971)年1月20日〜茨城県
34代横綱、雲竜型
横綱在位・昭和12(1937)年1月-昭和17(1942)年1月(32-38)
本名・坂田 供次郎
身長191cm、体重146kg
幕内通算成績 35場所 247勝136敗1分33休、勝率6割4分5厘、優勝2回
(横綱成績 12場所 87勝55敗22休、勝率6割1分3厘、優勝0回)
武蔵山とともに将来を期待されるが、春秋園事件で脱退、その後に帰参するが、帰参時に番付外のいわゆる「別席」となり、その場所に全勝で初優勝する。
帰参後は「儂が一番強い」と豪語し、双葉山が横綱になると「双葉山を強くしたのは儂だ」といったとか。
言い過ぎの感もあるが、双葉山が充実するまでは確かに玉錦や武蔵山とともに「壁」になっていたことも事実ではある。
奇行でも知られ、ダットサンを運転して場所入りし、燃料規制で運転できなくなると、自転車に切り替えた。
さらに引退後は、理事にまでなりながら、突如廃業し、衆議院選に出馬(落選)した。
サラリーマンや探偵をしたこともあったが、探偵は長身のため尾行時に目立ってしまったようだ。
不遇な晩年であったが、最晩年は料亭で下足番をしていたという。
料亭の経営者がファンだったとか。
35代 双葉山 定次(ふたばやま さだじ)〜明治45(1912)年2月9日-昭和43(1968)年12月16日〜大分県
35代横綱、雲竜型
横綱在位・昭和13(1938)年1月-昭和20(1945)年11月(25-33)
本名・穐吉 定次
身長179cm、体重130kg
幕内通算成績 31場所 276勝68敗1分33休、勝率8割0分2厘、優勝12回
(横綱成績 17場所 180勝24敗22休、勝率8割8分2厘、優勝9回)
史上1位で不滅ともいわれる69連勝を記録した強豪。
立会いの変化、待ったをせず、記録もさることながら相撲に取り組む姿勢は伝説になっている。
引退後も理事長として部屋別総当り制など多くの改革を断行した。
詳細は史上最強力士RANKING内の双葉山定次を参照
36代 羽黒山 政司(はぐろやま まさじ)〜大正3(1914)年11月18日-昭和44(1969)年10月14日〜新潟県
36代横綱、不知火型
横綱在位・昭和17(1942)年1月-昭和28(1953)年9月(26-38)
本名・小林 正治
身長179cm、体重130kg
幕内通算成績 39場所 321勝94敗1分114休、勝率7割7分3厘、優勝7回
(横綱成績 30場所 230勝62敗114休、勝率7割8分8厘、優勝6回)
幕内から十両まですべて1場所で通過するという現在の制度では絶対に破れないスピード出世をして入幕する。
戦前・戦中は同部屋の兄弟子・双葉山の影に隠れていたが、戦後は第一人者として一時代を築く。
2度のアキレス腱断裂などがありながら横綱在位12年の長きに渡り活躍した。
詳細は史上最強力士RANKING内の羽黒山政司を参照
37代 安藝ノ海 節男(あきのうみ せつお)〜大正3(1914)年5月30日-昭和54(1979)年3月29日〜広島県
37代横綱、雲竜型
横綱在位・昭和18(1943)年1月-昭和21(1946)年11月(28-32)
本名・永田 節男
身長177cm、体重128kg
幕内通算成績 18場所 142勝59敗38休、勝率7割0分6厘、優勝1回
(横綱成績 8場所 38勝19敗38休、勝率6割6分7厘、優勝0回)
平幕時代に双葉山の連勝記録を69でストップさせ名を上げた。
その際に師匠の出羽海、入門時に世話になった藤島から「勝って褒められるより、負けて騒がれる力士になれ」といわれたとされる。
その後は2度と双葉山に勝てなかったが善戦し、自身も努力し横綱に昇進した。
38代 照國 万蔵(てるくに まんぞう)〜大正8(1919)年1月10日-昭和52(1977)年3月20日〜秋田県
38代横綱、雲竜型
横綱在位・昭和18(1943)年1月-昭和28(1953)年1月(23-34)
本名・菅 萬蔵→大野 萬蔵
身長173cm、体重161kg
幕内通算成績 32場所 271勝91敗74休、勝率7割4分9厘、優勝2回
(横綱成績 25場所 187勝70敗74休、勝率7割2分8厘、優勝2回)
入門からわずか3場所で関脇、7場所で大関、9場所で横綱になり、当時の最年少横綱昇進記録を作った。
全盛期にはアンコ型の色白の博多人形のような体に紅がさす様子とリズミカルな取り口から「桜色の音楽」と形容された。
アンコ型ながら低い姿勢で前に落ちない天才型で、双葉山にも3勝2敗と勝ち越した。
優勝2回の成績以上に強さを感じる横綱だった。
詳細は個性派力士内の照国万蔵を参照
39代 前田山 英五郎(まえだやま えいごろう)〜大正3(1914)年5月4日-昭和46(1971)年8月17日〜愛媛県
39代横綱、雲竜型
横綱在位・昭和22(1947)年11月-昭和24(1949)年10月(33-35)
本名・萩森 金松
身長181cm、体重120kg
幕内通算成績 26場所 206勝104敗39休、勝率6割6分5厘、優勝1回
(横綱成績 6場所 24勝27敗25休、勝率4割7分1厘、優勝0回)
巡業中にプロレス入りする前の力道山ともめて、力道山を張り手一発で倒した逸話を持つ。
途中休場した場所中にサンフランシスコ・シールズと巨人の試合を観戦し問題になり、それがもとで責任をとり引退に追い込まれた。
引退後は年寄・高砂として角界に貢献、横綱・朝潮や外国人初の関取となった高見山などを育てた。
40代 東富士 欽壹(あずまふじ きんいち)〜大正10(1921)年10月28日-昭和48(1973)年7月31日〜東京都
40代横綱、雲竜型
横綱在位・昭和28(1949)年1月-昭和29(1954)年9月(26-32)
本名・井上 謹一
身長179cm、体重160kg
幕内通算成績 31場所 261勝104敗2分54休、勝率7割1分5厘、優勝6回
(横綱成績 20場所 172勝74敗2分50休、6割9分9厘、優勝5回)
江戸っ子らしいあっさりとした性格が災いしてか連続優勝や全勝はなかったが「怒涛の寄り」と形容された取り口は迫力があった。
引退後は高砂一門内の揉め事に巻き込まれ、それを嫌い角界を去り、プロレス入りした。

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