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歴代横綱メモ(11代〜20代)
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■歴代横綱メモ(11代〜10代)■
初代〜10代+雷電為 11代〜20代 21代〜30代 31代〜40代 41代〜50代
51代〜60代 61代〜70代 71代〜80代    
四股名(ふりがな)〜生没年月日〜出身地
当該横綱に関する簡単なメモ  注)横綱在位は横綱在位(推挙年齢-引退年齢)を示す
 
11代 不知火 光右エ門(しらぬい みつえもん)〜文政8(1825)年−明治12(1879)年2月14日〜福岡県
11代横綱
横綱在位・文久3(1863)年10月-文久9(1869)年11月(38-44)
本名・原野 峰松→近久 峰松
身長177cm、体重120kg
幕内通算成績 27場所 119勝35敗15分9預77休、勝率7割7分3厘、優勝相当3回
(横綱成績 13場所 59勝14敗5分1預51休、勝率8割0分8厘、優勝相当2回)
横綱土俵入りにおける雲竜型の考案者とされる。
(不知火型の考案者は10代の雲竜久吉とされ、後世に考案者と型が入れ替わったといわれる)
なお、雲竜久吉との対戦成績は6勝1敗1分1預と大きく勝ち越した。
12代 陣幕 久五郎(じんまく きゅうごろう)〜文政12(1829)年5月3日−明治36(1903)年10月21日〜島根県
12代横綱
横綱在位・慶応13(1867)年10月-慶応13(1867)年11月(38-38)
本名・石倉 槇太郎
身長174cm、体重138kg
幕内通算成績 19場所 87勝5敗17分3預65休、勝率9割4分6厘、優勝相当5回
(横綱成績 1場所 7勝3休 勝率10割 優勝相当1回)
わずか5敗の成績から「負けず屋」といわれた強豪。
「横綱力士碑」の建立者としても知られる。
詳細は史上最強力士RANKING内の陣幕久五郎を参照
13代 鬼面山 谷五郎(きめんざん たにごろう)〜文政9(1826)年?−明治4(1871)年7月23日〜岐阜県
13代横綱
横綱在位・明治2(1869)年2月-明治3(1870)年11月(42-44)
本名・田中 新一
身長186cm、体重140kg
幕内通算成績 27場所 143勝24敗16分8預63休、勝率8割5分6厘、優勝相当7回
(横綱成績 4場所 17勝3敗2分18休、勝率8割5分0厘、優勝相当0回)
43歳で横綱となったが、これは歴代横綱で最高齢での横綱位。
思い切りのいい相撲で、ライバルで負けない相撲の陣幕久五郎と比較し取りこぼしが多かったが、意に介さなかったといわれる。
稽古上がりにアサリを200文買ってちゃんこにするのを何よりも楽しみにしたといわれる。
詳細は史上最強力士RANKING内の鬼面山谷五郎を参照
14代 境川 浪右エ門(さかいがわ なみえもん)〜天保12(1841)年4月8日−明治20(1887)年9月16日〜千葉県
14代横綱
横綱在位・明治10(1877)年2月-明治14(1881)年1月(34-39)
本名・宇田川 政吉→市川 政吉→市川 浪右衛門
身長169cm、体重128kg
幕内通算成績 28場所 118勝23敗71分5預63休、勝率8割3分7厘、優勝相当5回
(横綱成績 8場所 16勝8敗20分3預33休、勝率6割6分7厘、優勝相当0回)
相手に十分に取らせてから勝負に出る相撲と面倒見のよさで人望を集めたとされる。
歴代横綱で最も引き分け率が高い。
15代 梅ヶ谷 藤太郎(うめがたに とうたろう)〜弘化2年(1845)2月9日−昭和3(1928)年6月15日〜福岡県〜初代
15代横綱
横綱在位・明治17(1884)年2月-明治18(1885)年5月(39-40)
本名・小江 藤太郎
身長176cm、体重105kg
幕内通算成績 22場所 116勝6敗18分2預78休、勝率9割5分1厘、優勝相当9回
(横綱成績 3場所 10勝2敗3分15休、勝率8割3分3厘、優勝相当0回)
58連勝などを記録した強豪で、引退後に国技館建設のための40万円(現在なら100億円相当)を信用のみの無担保で借りることに成功し、さらに年寄名跡である雷(いかずち)を譲った後も「大雷」と尊称され、相談役待遇となった。
83歳という歴代横綱の最長寿記録を持つ。
詳細は史上最強力士RANKING内の梅ヶ谷藤太郎(初代)を参照
16代 西ノ海 嘉治郎(にしのうみ かじろう)〜安政2(1855)年1月3日−明治41(1908)年11月30日〜鹿児島県
16代横綱
横綱在位・明治23(1890)年5月-明治29(1896)年1月(35-41)
本名・小園 嘉治郎
身長176cm、体重126kg
幕内通算成績 29場所 127勝37敗25分4預97休、勝率7割7分4厘、優勝相当2回
(横綱成績 12場所 44勝13敗1分2預60休、勝率7割7分2厘、優勝相当1回)
強豪相手の取り組み前でも支度部屋で高いびきをかいていたといわれる。
17代 小錦 八十吉(こにしき やそきち)〜慶応2年(1866)10月15日−大正3(1914)年10月22日〜千葉県
17代横綱
横綱在位・明治31(1898)年5月-明治34(1901)年1月(29-34)
本名・岩井 八十吉
身長168cm、体重143kg
幕内通算成績 26場所 119勝24敗9分7預101休、勝率8割3分2厘、優勝相当7回
(横綱成績 6場所 15勝8敗2分2預33休、勝率6割5分2厘、優勝相当0回)
力強いスピード相撲と色白の肌から「狂える白象」と形容された。
横綱になった頃には最盛期の勢いは衰えていたが、入幕から大関昇進にかけて39連勝した勢いは凄まじかった。
18代 大砲 万右エ門(おおづつ まんえもん)〜明治2(1869)年11月28日−大正7(1918)年5月27日〜宮城県
18代横綱
横綱在位・明治34(1901)年5月-明治41(1908)年1月(31-38)
本名・角張 萬次→角張 萬右衛門
身長194cm、体重132kg
幕内通算成績 32場所 98勝29敗51分4預138休、勝率7割7分2厘、優勝相当2回
(横綱成績 14場所 34勝9敗29分2預68休、勝率8割2分9厘、優勝相当1回)
引き分けが多く「分け綱」と呼ばれた。
詳細は個性派力士内の大砲万右エ門を参照
19代 常陸山 谷右エ門(ひたちやま たにえもん)〜明治7(1874)年1月19日−大正11(1922)年6月19日〜茨城県
19代横綱、雲竜型
横綱在位・明治36(1903)年6月-大正3(1914)年5月(29-40)
本名・市毛 谷→市毛 谷右エ門
身長174cm、体重146kg
幕内通算成績 32場所 150勝15敗22分2預131休、勝率9割0分9厘、優勝相当7回、優勝1回
(横綱成績 19場所 74勝11敗11分2預92休、勝率8割7分1厘、優勝相当2回、優勝1回)
相手に十分にとらせてから勝負に出る相撲で第一人者として20代の2代梅ヶ谷藤太郎とともに一時代を築いた強豪。
引退後も亡くなるまでのわずかの期間に年寄・出羽ノ海として3横綱、4大関ら多くの幕内力士を育てた。
力士の社会的地位向上にも尽力し、多くの功績から「角聖」「御大」と尊称され、葬儀は史上初の協会葬で行われた。
年寄・出羽ノ海の名跡は、彼を称えて後任者が継承に際して「ノ」を外し、以後は出羽海となった。
詳細は史上最強力士RANKING内の常陸山谷右エ門を参照
20代 梅ヶ谷 藤太郎(うめがたに とうたろう)〜明治11(1878)年3月11日−昭和2(1927)年9月2日〜富山県〜2代
20代横綱、雲竜型
横綱在位・明治36(1903)年6月-大正4(1915)年6月(25-37)
本名・押田 音次郎→小江 音松
身長168cm、体重158kg
幕内通算成績 36場所 168勝27敗47分2預116休、勝率8割6分2厘、優勝相当3回
(横綱成績 21場所 69勝10敗36分95休、勝率8割7分3厘、優勝相当2回)
19代の常陸山と同時に横綱となり、一時代を築いた。
詳細は史上最強力士RANKING(RANKING外の強豪力士)内の梅ヶ谷藤太郎(2代)を参照

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