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杉浦忠
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■杉浦忠■野球選手■史上最強のアンダースロー

右投右打

身長176センチ、体重71キロ

1935年9月17日−2001年11月11日

杉浦忠(すぎうら・ただし)は、日本プロ野球史上5人目の投手5冠(同一シーズンに最優秀防御率、最高勝率、最多勝、奪三振王、最多完封)の達成者で「史上最強のアンダースロー」「魅惑のアンダースロー」といわれた・・・

挙母高校時代は無名の速球投手だったが、立大進学後は、同期の長嶋茂雄、本屋敷錦吾と3人で「立教三羽ガラス」と呼ばれた・・・
1年春から登板があり、もともとオーバースロー投手だったが、サイドスロー(アンダースローとも)に転向・・・
転向は、眼鏡をかけて投げるので、眼鏡がずれないように体の軸の安定のため・・・
その眼鏡は知的スマートなイメージも・・・
東京六大学リーグで、通算36勝(立大OB最多)12敗、防御率1.19、223奪三振、ベストナイン2回で、このうち28勝は、フォーム転向後に挙げた・・・
1957年の春秋連覇に貢献・・・
秋の早大戦でノーヒットノーラン達成・・・
当初は長嶋茂雄とともに南海入団が確実視されていたが、長嶋は巨人入り、杉浦は南海に入団・・・


杉浦は、1958年の南海入団後は、新人ながら開幕投手を務め、プロ初勝利し、この年、27勝12敗、防御率2.05の好成績で、セ・リーグの長嶋とともに、パ・リーグの新人王に・・・
2年目の1959年に、杉浦は、38勝4敗、勝率9割0分5厘、336奪三振、9完封、防御率1.40の驚異的数字で投手5冠でパ・リーグMVP・・・
これまでの投手5冠達成者でも抜群の成績・・・
さらに、この年の日本シリーズでも、長嶋の入った巨人に4連投で4連勝し、南海初の日本一になり、日本シリーズMVP・・・

翌1960年も31勝・・・
シーズン30勝以上を記録したのも、杉浦の他には、スタルヒン野口二郎別所毅彦杉下茂稲尾和久金田正一、権藤博だけ・・・
1961年5月には、通算100勝を3年1ケ月、188試合目の史上最速で達成したが、連投による血行障害でこの年から20勝、14勝、14勝で、1964年に20勝を挙げたのを最後に、以後は1桁勝利・・・
1965年に1度引退し、コーチになるも、1966年にコーチ兼任で現役復帰・・・
コーチ兼任は1967年まで・・・
その後も現役を続け、1970年に現役引退・・・

先発投手で長いイニングを投げられなくなってからは、抑えでチームに貢献・・・
プロでは、完全試合、ノーヒットノーランに縁がなかった・・・
通算187勝を挙げているが、当然通算200勝以上の名球会には、入っておらず、落合博満は「あの杉浦さんの入れない名球会に意味があるの?」と球界屈指の好投手の入れない名球会の存在意義を疑問視・・・
なお、落合は、通算2317安打で、通算2000安打以上の名球会の資格をクリアしているが、名球会入りを辞退している・・・



現役引退後は、解説者、評論家、コーチなどを歴任・・・
1986年から南海の監督、1989年に南海からダイエーに代わり、ダイエーの初代監督を務め、その年退任・・・
監督退任後は、フロント入りするも、1994年にフロントも退任・・・
その後は、解説者などを務め、2001年11月11日死去、66歳没。


杉浦は、同僚の広瀬叔功野村克也、別チームの張本勲などの強打者から、身体能力を絶賛され、稲尾和久とともに名投手として名前が挙がる・・・
張本勲からは「史上最高のアンダースロー」とも・・・
稲尾和久は、杉浦の良き手本であり、良きライバルだった・・・

監督の鶴岡一人とは、二人だけの特別の「阿吽」の呼吸があるといわれた・・・



投手成績
13年、187勝106敗、防御率2.39
MVP1回、新人王(1958年)
最優秀防御率1回、最高勝率1回、最多勝1回、奪三振王2回(当時表彰なし)
投手5冠
日本シリーズMVP1回
野球殿堂(日本)(1995年)



僕の愛した野球
[「史上最強のアンダースロー」杉浦忠が語った野球人生
野球との出会い、長嶋茂雄とともに戦った立大時代、4連投4連勝の1959年の南海での日本シリーズ、愛する南海、監督での南海からダイエーへの転身など



監督成績
4年、520試合。231勝271敗26分、勝率4割5分1厘




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