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大達羽左エ門
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■大達羽左エ門■型破りの強豪大関

大達 羽左エ門(おおだて うざえもん)
本名・諏訪 弁治〜出身地・山形県〜身長175cm、体重126kg
生没年月日・嘉永6(1853)年12月15日−明治37(1904)年8月17日※
最高位・大関
■コメント
大達羽左エ門は自ら2度の部屋移籍をした型破りな明治の強豪大関です。
全盛期には「虎(獅子との説も)を張り倒してみたい」といったといわれています。

▼履歴
明治6(1873)年に朝日嶽のいる立田川部屋に入門し、同年12月に初土俵を踏みます。
しかし、素行が悪く部屋を脱走し、新潟県を放浪し、造り酒屋で奉公をしながら土地相撲で活躍しているところを相撲会所を脱退した高砂改正組の高砂に巡業の際にスカウトされます。
しかし時同じくして巡業に来ていた朝日嶽に部屋を脱走した上に会所を脱退した高砂に入門したことを叱られ、侘びとして髷を切り、さらには丸坊主にして廃業かと思いきや高砂の元に戻ったといわれます。

明治11(1878)年6月に高砂は会所と和解し、大達も明治12(1879)年1月に東京相撲に復帰します。
明治15(1882)年6月新入幕、明治17(1884)年3月の天覧相撲では、明治天皇のリクエストで横綱の梅ヶ谷藤太郎(初代)との取り組みが行われました。
この対戦は、水入りになる30分以上の大相撲の末、引き分けとなります。
明治天皇もこの熱戦に大喜びだったと伝わります。

同年5月には35連勝の梅ヶ谷を下し、優勝相当(8勝1分1休)の成績を挙げ、大関の楯山の引退もあり、新小結から大関へ昇進と思われましたが、5勝の関脇・西ノ海が大関で大達は三役格の張出に据え置かれました。
この処遇を不満とした大達は師匠の高砂と口論となり、高砂を殴りつけてしまいます。
怒った高砂は日本刀を持って大達を追いかけ、大達は伊勢ノ海に身を寄せ、高砂から破門にされます。
大達はその後正式に伊勢ノ海に移籍し、1度ならず2度も自ら部屋移籍をしてしまいます。

この大胆さは土俵上でも変わらず、中腰で相手の顔の前に拳を突き出す「よいしょ仕切り」、相手の首根っこを掴んで後ろへ捻り倒す「徳利投げ」を得意としました。
「徳利投げ」は力量差がないと決まらない技であり、大達の恐るべき強さを感じます。
筋肉質の体格でひいきに二の腕を噛ませたことがありますが、巌のようでまったく歯が立たなかったといわれます。
さすがは全盛期に「虎(獅子との説も)を張り倒してみたい」と豪語しただけのことがあり、傍若無人とも思える型破りの振る舞いもこの「強さ」ゆえ許された面もあるのかもしれません。

明治19(1886)年1月に新大関、横綱目前とされながら、病気で体調を崩し、休場が続いたことにより平幕に陥落、以後は三役に戻ることなく、明治28(1895)年6月に引退しています。


年寄としては、面倒見の良さはあったものの、不器用な性格で誤解されやすかったようです。

▼ライバル
大達のライバルといえば天覧相撲で引き分けた明治の大横綱・梅ヶ谷藤太郎(初代)です
(対戦成績は大達から見ています)
梅ヶ谷藤太郎(初代)
福岡県出身、身長176cm、体重105kg
幕内通算成績 22場所 116勝6敗18分2預78休 勝率9割5分1厘 優勝相当9回
最高位・大関(横綱免許)
梅ヶ谷は明治の大横綱です
梅ヶ谷藤太郎(初代)についての更なる詳細は、史上最強力士RANKING内の梅ヶ谷藤太郎(初代)を参照
対戦成績 1勝1敗1分
●○分

※生年月日は新暦では1854年1月13日

■幕内通算成績
場所 番付 成績 星取表 優勝 備考
明治15(1882)年6月 西前7 6勝2敗2休 ○○○○●○○●休休    
明治16(1883)年1月 西前1 10休 休休休休休休休休休休    
明治16(1883)年5月 西前4 5勝3敗2休 ○○○●●●○休○休    
明治17(1884)年1月 西前3 6勝1敗1分1預1休 ○○預○●○○○分休    
明治17(1884)年5月 西小結 8勝1分1休 ○○○○分○○○○休 (1)  
明治18(1885)年1月 西張出 7勝1敗1分1休 ○○●○○○○分○休 (2)  
明治18(1885)年5月 西関脇 8勝1敗1休 ○○○○○●○○○休 (3)  
明治19(1886)年1月 西大関 7勝2敗1休 ○○○○●○○○●休    
明治19(1886)年5月 西大関 6勝1分3休 ○○○○休休分○○休  
明治20(1887)年1月 西大関 6勝1敗3休 ○○○○休休●○○休    
明治20(1887)年5月 西大関 7勝1分2休 ○○○○○休分○○休 (4)  
明治21(1888)年1月 西大関 10休 休休休休休休休休休休    
明治21(1888)年5月 西大関 10休 休休休休休休休休休休    
明治22(1889)年1月 西小結 10休 休休休休休休休休休休    
明治22(1889)年5月 西前1 10休 休休休休休休休休休休    
明治23(1890)年1月 西張前 3勝4敗3休 ●○○●●○●休休休    
明治23(1890)年5月 西前4 10休 休休休休休休休休休休    
           
明治24(1891)年5月 東番外 3勝3敗2分2休 ○分●分●○休○●休    
明治25(1892)年1月 東前4 2勝5敗1分2休 ●●●●○分○●休休    
明治25(1892)年6月 東前7 5勝3敗1分1休 ●分○●●○○○○休    
明治26(1893)年1月 東前2 10休 休休休休休休休休休休    
明治26(1893)年5月 東前4 3勝3敗2分1預1休 分○○○●●分●預休    
明治27(1894)年1月 東前4 1勝7分1預1休 分分分預分分○分分休    
明治27(1894)年5月 西前6 3勝4敗2分1休 ○○●●○分●●分休    
明治28(1895)年1月 東前7 1勝2敗1分6休 分●○●休休休休休休    
明治28(1895)年6月 西前5 5敗5休 ●●●●●休休休休休    
 幕内通算成績 26場所 87勝40敗21分3預109休 勝率6割8分5厘 優勝相当4回

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