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マルゼンスキー
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■史上最強馬RANKING−日本−INDEX■■■■■

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ミスターシービー

■マルゼンスキー■桁違いのスーパーカー RANKING3位タイ
マルゼンスキー、牡、鹿毛、日本生産、日本調教
生没年月日・1974年5月19日−1997年8月21日
父ニジンスキー 母シル
生産者・橋本牧場  馬主・橋本善吉
調教師・本郷重彦  主戦騎手・中野渡清一
競走成績・8戦8勝(8−0−0−0) 主な勝利・朝日杯3歳ステークス
■コメント
マルゼンスキーは英3冠馬ニジンスキーの仔で抜群の能力を持ちなが
ら持込馬のため当時の規定でクラシックに出走できなかった伝説的名馬です。

8戦8勝、わずか8戦でつけた合計着差は61馬身、しかも1200メート
ルから1800メートルという着差がつきづらい比較的短い距離での着
馬身であったことは驚異というしかありません。

マルゼンスキーは英3冠馬ニジンスキーの仔であり、種牡馬実績からも中長距離へも対応したはずですが、スピードの絶対値が違ったので比較的短い距離でもこのような圧倒的パフォーマンスを示したのだと思います。

持込馬で驚異的スピードを示したことから「外車」、「スーパーカー」といわれました。


マルゼンスキーを知るおすすめ作品

■履歴
▼誕生とエピソードからデビューまで

マルゼンスキーは英3冠馬ニジンスキーの仔で、母のシルがお腹に宿した状態でアメリカのキーランドセールで購買され輸入されました。

いわゆる持込馬で、日本でマルゼンスキーは誕生しました。

マルゼンスキーを購入したのは橋本牧場を運営していた橋本善吉氏で、もともとは牛の仲買人でしたが、海外で馬を購入することもあり、その経緯で購入したのがマルゼンスキーを宿したシルでした。

シルは名種牡馬でブルードメアサイヤーとしても大きな成功をしたバックパサーと全米牝馬チャンピオンとなったクイルの間に生まれ、しかも英3冠馬ニジンスキーの仔を宿していたのでかなりの高額となりましたが、橋本氏は落札に成功しました。

この時にこのセリに参加していたのが社台ファームの総帥・吉田善哉氏でした。

吉田氏は高値のため早めにセリを降りたものの、英3冠馬ニジンスキーの仔(マルゼンスキー)を宿したシルを競り落とせなかったことを気にしていたらしく後に橋本牧場を訪れたといわれます。

そしてマルゼンスキーを見て競り落とせなかったことに更に後悔の念を深めたといわれます。

マルゼンスキーの脚には外向があり、そのため買い手がつかず橋本善吉氏自身の所有馬として本郷重彦厩舎に入厩しました。


▼現役時代
▽2歳
マルゼンスキーは脚に爆弾を抱えており、目一杯の調教が行えないまま1976年10月に中山競馬場で中野渡清一騎手を背にデビュー戦を迎えます。
(マルゼンスキーがきっちり調教されたことは引退までありませんでした)

しかしデビュー戦でいきなりの大差勝ち、2戦目のいちょう特別も9馬身差の楽勝をします。

3戦目の府中3歳ステークス(馬齢は旧表記、現在の2歳)は将来を考え抑える競馬を試みて3連勝はしたもののヒシスピードにハナ差の苦戦をします。

4戦目に朝日杯3歳ステークス(馬齢は旧表記、現在の2歳)に臨んだマルゼンスキーは前走の鬱憤を晴らすような1600メートルで1分34秒4のレコードタイムをほぼ馬なりで記録します。

このタイムは1990年のリンドシェーバーまで14年間破られることはありませんでした。
(マルゼンスキーの時代には競馬場も現在ほど整備されておらずタイムが出なかったといわれます、特に、朝日杯3歳ステークスの行われた中山競馬場の春先や年末のレースは馬場が荒れておりタイムが出ないといわれていました、このことを考慮するとマルゼンスキーの朝日杯3歳ステークスでのタイムは驚異的といえます)
(ちなみにシンボリルドルフの皐月賞での2000メートルで2分01秒1も当時のタイムが出ないといわれた春先の中山競馬場の馬場状態では非常に素晴らしいタイムだと思います)

▽3歳
翌1977年も快進撃は続きます。

オープンを2馬身1/2差で快勝すると、骨にヒビが入り少し休養、続くオープンでは休み明けを7馬身差で楽勝します。

マルゼンスキーのレースはまさに絶対能力の違いを見せ付けるものでした。

・持込馬の不運
これだけの高い能力を見せたマルゼンスキーも当時の規定でクラシックには持込馬のため出走できませんでした。

過去には同じ持込馬のヒカルメイジが1957年の日本ダービー、ジュピックが1970年のオークスを制覇してるというのに・・・

1971年から1984年までの間だけ持込馬はクラシックを含む大レースへの出走規制があったのです。

主戦の中野渡騎手は「大外枠でいい、賞金もいらない、他の馬の邪魔もしない、だから日本ダービーに出走させてくれ」との主旨の発言をしたといわれますが、もちろん規定が覆ることはなく、マルゼンスキーは出走出来ませんでした。

・真の同世代最強馬
マルゼンスキーは日本短波賞において日本ダービーに出走できなかった鬱憤を晴らすことになります。

このレースで後に菊花賞馬となるプレストウコウに7馬身差をつけて楽勝をします。

しかもハロン棒で1度スピードを緩めてから再び加速しての7馬身差でした。

中野渡騎手がレース前にハロン棒前でスピードを緩めたのをマルゼンスキーが覚えていたためハロン棒をゴール板と勘違いしハロン棒でスピードを緩めたといわれています。

同世代となる1974年生まれの真の最強馬がマルゼンスキーであることは明らかでした。

札幌で短距離ステークスに出走したマルゼンスキーは10馬身差の楽勝をします。

この時同じく札幌にいたトウショウボーイとの対決が噂されますが実現はしませんでした。

・最強馬の証明へ
マルゼンスキーは持込馬も出走出来る有馬記念への出走へ向けて調整が進められました。

当初の巴賞から京都大賞典を経て有馬記念のプランは脚部不安で白紙に、ダービー卿チャレンジトロフィーから有馬記念へのプランも脚部不安で白紙となりこの不安が決定打となり引退することになります。

有馬記念出走で1歳上のトウショウボーイ、テンポイントとの対決、最強馬の証明は実現されることはありませんでした。

▼現役引退後
種牡馬としてのマルゼンスキーは多くの産駒に自身の高い能力と脚部の外向を伝えました。

サクラチヨノオー(日本ダービー)、ホリスキー(菊花賞)、レオダーバン(菊花賞)、スズカコバン(宝塚記念)を筆頭に多くの重賞勝ち馬を輩出しました。

ノーザンテーストがリーディングサイヤーに君臨していた時代でリーディングサイヤーにはなれませんでしたが、マルゼンスキーに脚部の外向がなければ、ノーザンテーストと同じくらい繁殖牝馬に恵まれていれば、ノーザンテーストの牙城をもっと脅かす存在になっていたかもしれません。

またブルードメアサイヤー(母の父)としてもスペシャルウィーク(日本ダービー、ジャパンカップ、天皇賞・春、天皇賞・秋)、ライスシャワー(菊花賞、天皇賞・春2回)、ウイニングチケット(日本ダービー)、メジロブライト(天皇賞・春)を筆頭に多くの重賞勝ち馬を輩出しています。

主な産駒・・・
ホリスキー(菊花賞)
スズカコバン(宝塚記念など)
サクラチヨノオー(日本ダービー、朝日杯3歳ステークスなど)
レオダーバン(菊花賞)

サクラトウコウ(函館3歳ステークス、七夕賞)
など多数の重賞勝ち馬

母の父として・・・
ライスシャワー(菊花賞、天皇賞・春2回など)
ウイニングチケット(日本ダービーなど)
メジロブライト(天皇賞・春など)
スペシャルウィーク(日本ダービー、ジャパンカップ、天皇賞・春、天皇賞・秋など)
プリモティーネ(桜花賞)
など

1997年8月21日死亡。

▼マルゼンスキー世代
マルゼンスキーと同世代の皐月賞馬・ハードバージ、日本ダービー馬・ラッキールーラの種牡馬時代、晩年は不遇であったといえ、この世代は世代闘争において天皇賞・春を勝ったモンテプリンスがいるのみのいわゆる「弱い世代」と評価されています。

ある意味マルゼンスキーのみが突出していたことになります。

マルゼンスキーの再来といわれたグラスワンダーは「グラスワンダー 夢色の蹄跡」のDVDを見ても、元ネタのマルゼンスキーの凄さがグラスワンダーを通じてわかると思います

いかにマルゼンスキーのパフォーマンスが衝撃だったか

▼シアトルスルーの存在
1974年生まれのマルゼンスキーは米3冠馬・シアトルスルーとも同世代です。

もしマルゼンスキーを宿したシルが日本へ輸入されずマルゼンスキーがアメリカで走っていればシアトルスルーと3冠レースで対決していたかもしれません。

▼幻の対決
トウショウボーイとテンポイントとのマッチレース(出走馬は2頭だけではないが、2頭だけのマッチレースのようにスタートから競り合う)で名高い1977年の有馬記念にマルゼンスキーが出走していたらと思うとワクワクします。

有馬記念の対決も楽しみですが、私はトウショウボーイとの一騎打ちも見てみたいですね。

両馬とも天性の驚異的スピードを持った快速馬でした。

1600メートルから2200メートルまでのレースで「スピード頂上対決」を見たかったです。

▽史上最強馬RANKING−日本(海外を含む)(作成中) RANKING4位タイ

マルゼンスキーを知るおすすめ作品

■競走成績
開催日 開催国 競馬場
レース名

距離


頭数
人気
着順
斤量
着差

騎手
タイム

1着(2着)


1976.10.9 中山
新馬

T1200




52
大差

中野渡清一
1.11.0

(オリオンダーダ)

1976.10.30 中山
いちょう特別

T1200




52


中野渡清一
1.10.5

(シャダイエッセイ)


1976.11.21 東京
府中3歳ステークス

T1600




54
ハナ

中野渡清一
1.37.9

(ヒシスピード)


1976.12.12 中山
朝日杯3歳ステークス

T1600




54
大差

中野渡清一
1.34.4R

(ヒシスピード)

1977.1.22 中京
オープン

T1600




57
2・1/2

中野渡清一
1.36.4

(ジョークイック)


1977.5.7 東京
オープン

T1600




57


中野渡清一
1.36.3

(ロングイチー)


1977.6.26 中山
日本短波賞

T1800




58


中野渡清一
1.51.4

(プレストウコウ)


1977.7.24 札幌
短距離ステークス

D1200




54
10

中野渡清一
1.10.1R

(ヒシスピード)


■5代血統図
Menow4×4、Bull Dog5×5、Blue Larkspur5×5
Nijinsky
カナダ
1967 鹿毛
Northern Dancer
カナダ
1961 鹿毛
Nearctic Nearco Pharos
Nagara
Lady Angela Hyperion
Sisiter Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Flaming Page
カナダ
1959 鹿毛
Bull Page Bull Lea Bull Dog
Rose Leaves
Our Page Blue Larkspur
Occult
Flaring Top Menow Pharamond
Alcibiades
Flaming Top Omaha
Firetop
*シル
Shill
アメリカ
1970 鹿毛
Buckpasser
アメリカ
1963 鹿毛
Tom Fool Menow Pharamond
Alcibiades
Gaga Bull Dog
Alpoise
Busanda War Admiral Man o’War
Bruahup
Businesslike Blue Larkspur
La Toroienne
Quill
アメリカ
1956 栗毛

Princequillol Prince Rose Rose Prince
Indorence
Cosquilla Papyrus
Quick Thought
Quick Touch Count Fleet Reigh Count
Quickly
Alms St.Brideaux
Bonus


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