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シンボリルドルフ
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■史上最強馬RANKING−日本−INDEX■■■■■

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ミスターシービー

■シンボリルドルフ■人知を超えた皇帝 RANKING1位

シンボリルドルフ(Symboli Rudolf)、牡、鹿毛、日本生産、日本調教
生没年月日・1981年3月13日−2011年10月4日
父パーソロン 母スイートルナ
生産者・シンボリ牧場  馬主・シンボリ牧場
調教師・野平祐二  主戦騎手・岡部幸雄
競走成績・16戦13勝(13−1−1−1) 主な勝利・日3冠、ジャパンC、有馬記念2回、天皇賞・春
■コメント
シンボリルドルフはドイツのルドルフ皇帝に由来する命名と完璧な強さから「皇帝」といわれました。
日本競馬史上初の無敗の3冠馬であり、その後更に4つの大レースを制し、「7冠馬」ともいわれました。
私は
日本国内最強馬シンボリルドルフだと思います。

通算戦績16戦13勝、5歳時にレース中の故障で6着に敗れたアメリカでのサンルイレイステークスはアクシデントとして、3歳時の中1週のきついローテーションと体調不良、展開のアヤで3着となったジャパンカップ、4歳時の6ヶ月の休み明け、不利といわれる東京2000メートルの大外枠、暴走ともいえるハイスピードでの先行の展開で2着となった天皇賞・秋以外は完璧な強さでした。

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履歴
▼誕生と育成
シンボリルドルフは1981年(昭和56年)3月13日に北海道門別町のシンボリ牧場で生まれました。
生まれてから立ち上がるまでの時間はわずか20分ほどだったといわれます。

日本有数のオーナーブリーダーであるシンボリ牧場の和田共弘氏(以下和田オーナー)によるイタリアの天才馬産家・フェデリコ・テシオの「二元育成」を参考にした「三元育成」でシンボリルドルフは育ちます。
(「三元育成」は、テシオが馬の成長に応じて2箇所の育成拠点を変え管理する育成方法「二元育成」を参考に3箇所の育成拠点を変え管理する育成方法)


▼現役時代
▽2歳
野平祐二厩舎に入厩したシンボリルドルフは1983年7月に新潟競馬場の芝1000メートルの新馬戦でデビューします。
すでにクラシック候補として評判になっていたシンボリルドルフは「勝ち方」にこだわりました。
この時に野平調教師は騎乗する岡部幸雄騎手に1000メートルのレースを「1マイル(約1600メートル)の感じで競馬してください」といったといいます。
1000メートルのレースを1600メートルのレースのように乗ってくれといったこの指示は、将来(クラシック)を見据えてのものだったといわれています。
新馬戦を快勝したシンボリルドルフは、秋に備えてシンボリ牧場に戻ります。

同年10月に東京競馬場において、いちょう特別(芝1600メートル)に臨んだシンボリルドルフ・・・ここでも野平調教師は岡部騎手に1600メートルのレースを「2400メートル(2000メートルとの説も)の競馬」を指示したといわれます。
東京2400メートルは日本ダービーの舞台であり、早くもクラシックの頂点を意識していたとされます。
(東京2000メートルなら天皇賞・秋となりますが、東京2400メートルの方がエピソードとしてはまる気がします)
そして「2400メートルの競馬」で快勝します。

2歳王者を目指すのであれば、暮れの朝日杯3歳ステークス(馬齢旧表記、新表記では2歳)となりますが、シンボリルドルフは朝日杯3歳ステークスではなく、3戦目の同年11月27日のオープンに出走します。
これは同日に行われるジャパンカップのために来日した世界のホースマンにシンボリルドルフを「お披露目」しようという和田オーナーの意向によるものです。
もちろんこのレースも快勝したシンボリルドルフは、来年の春までシンボリ牧場で「充電」します。

▽3歳
シンボリルドルフの3歳になってからの緒戦は中山競馬場での3月4日の弥生賞からでした。
クラシック第1弾の皐月賞と同じ条件の中山競馬場の芝2000メートルで行われる同レースは、皐月賞の絶好の「試金石」といえます。

ここでシンボリルドルフの主戦騎手であった岡部騎手はある「決断」を迫られます。
岡部騎手の騎乗馬には、もう1頭の有力馬・ビゼンニシキがいたのです。
ビゼンニシキは共同通信杯4歳ステークス(馬齢旧表記、現在の3歳)まで4戦4勝で、その時点においてシンボリルドルフと甲乙つけがたい素質馬といわれていました。
岡部騎手の選択は迷い無く「シンボルルドルフ」でしたが、当日の1番人気はビゼンニシキ、シンボリルドルフは2番人気でした。
ファンの中には「岡部は(騎乗馬の)選択を誤った」との意見も多かったことがこの人気の順となったのでしょう。

ビゼンニシキは父がダンディルートという血統から2000メートルが距離の限界かもといわれていたものの距離的に守備範囲であり、3歳緒戦の共同通信杯4歳ステークスを使って勝った順調さもありました。
対するシンボリルドルフは休み明けの3歳緒戦でしかも馬体重がプラス18kgと「重め残り」に映りました。
これらの材料はビゼンニシキ有利とのファンの判断につながったようです。
しかし皐月賞(2000メートル)までが「勝負」のビゼンニシキより皐月賞(2000メートル)、日本ダービー(2400メートル)、菊花賞(3000メートル)の「3冠を狙える」シンボリルドルフを選択した岡部騎手の判断が正しかったことは後に証明されます。

弥生賞においてシンボリルドルフはビゼンニシキに「力の違い」を見せて1馬身3/4差をつけて快勝します。


そして迎えたクラシック第1弾・皐月賞では、シンボリルドルフが1番人気となり、ビゼンニシキは2番人気となりました。
シンボリルドルフの馬体重が、今度はマイナス22kgだったのは驚きましたが・・・
(ビゼンニシキは弥生賞後にスプリングステークスに出走して勝利し、6戦5勝の戦績で皐月賞を迎えました)
シンボリルドルフは直線で外にふくれた斜行でビゼンニシキと激突するアクシデントはあったものの、ビゼンニシキに1馬身1/4差をつけて当時の皐月賞レコードで1冠目を制しました。
(ただしシンボリルドルフの斜行で岡部騎手は2日間の騎乗停止処分を受けています、ある意味「きわどい勝負」だったといえます)
岡部騎手は記念撮影で「1冠」を示す人指し指を突き立てます。
これは岡部騎手の「3冠宣言」であり、その指はその後大レースを勝つたびに増え続けることになります。


続くクラシック第2弾にして3歳馬最大の目標である日本ダービーにシンボリルドルフは「直行」します。
(ビゼンニシキは皐月賞後、NHK杯を勝って8戦6勝で日本ダービーに進みます)
シンボリルドルフはこれまで先行して直線抜け出す「安定感ある競馬」で勝利を重ねていましたが、日本ダービーにおいては「馬群にもまれる苦しい競馬」を初めて体験します。
騎乗の岡部騎手も「苦しい展開」でシンボリルドルフにGOサインを出しますが、そのサインに反応せず、「負け」を覚悟したといいます。
しかし、直線に入るとシンボリルドルフは「勝負所」を知っているかのごとく自ら加速し、先行馬をとらえて勝利します。
岡部騎手はこのレースを「ルドルフに勝たせてもらった」「ルドルフに競馬を教わった」と語っています。

記念撮影において「2冠」を示すVサインを突き立てました。
無敗の6戦6勝で2冠馬となったシンボリルドルフはこのころから一般的に「皇帝」と呼ばれるようになります。
フジテレビの実況で盛山アナウンサーが
「(シンボリルドルフが)初めて苦しい競馬をしました」と絶叫したのが印象に残っています。
(ビゼンニシキは距離が長かったのか、きついローテーションが影響したのか14着に沈んでいます)

和田オーナーの「キングジョージY&クイーンエリザベスエリザベスステークス挑戦」プランもありましたが、この後、シンボリ牧場でシンボリルドルフは秋まで「充電」します。
(和田オーナーのリップサービスもあったと思います)

秋に入るとセントライト記念から始動したシンボリルドルフは、レコードタイムで圧勝します。

ここでシンボリルドルフ陣営は「菊花賞」か「ジャパンカップ」の選択を迫られます。
当時の菊花賞とジャパンカップの間が中1週しかないローテーションはきつく、イギリスでは3冠目のセントレジャーが長距離レースの価値の地盤沈下に伴い評価を下げている現状に加え、同じ世代の勝負付けが済んでいる相手に3冠を獲っても無意味ではとの疑問からも陣営は世界の強豪や世代の違う相手と対戦できるジャパンカップのみの出走に傾きます。
和田オーナーが欧米の競馬、特にヨーロッパ競馬に傾倒していたのも世界の強豪が集まるジャパンカップへ目を向けた一因です。
しかし日本においては3冠の価値がイギリスのように地盤沈下しておらず、「無敗の3冠馬」の期待もあり、陣営は菊花賞とジャパンカップの両レースに挑戦する決断をします。

菊花賞を前にして、5冠馬シンザンを育てた武田文吾元調教師が和田オーナーと野平祐二調教師を訪ね、「シンザンを超える馬が現れた」と言ったといわれます。
すでにシンボリルドルフの「3冠」は「確実視」されていました


菊花賞の舞台に立ったシンボリルドルフは、ゴールドウェイの追撃を3/4馬身抑えて
日本競馬史上初の無敗の3冠を達成します。
この時のゴールドウェイの追撃を「
どこまでいっても差は詰まらない」と岡部騎手が言ったといわれます。
そして記念撮影では「3冠」を示す3本指を突き立てました。

中1週のローテーションとなったジャパンカップは、前年にシンザン以来19年ぶり日本競馬史上3頭目の3冠馬となり、今秋に天皇賞・秋を制し、「4冠馬」といわれたミスターシービーとの「3冠馬対決」が注目されました。
シンボリルドルフ自身は、きついローテーションと下痢をする体調不良もあり4番人気で、1番人気はミスターシービーでした。
レースは日本のカツラギエースの大逃げで始りました。
スローペースに持ち込んだカツラギエースは後続馬が牽制する中を順調にラップを刻み、直線に入るとイギリスのベッドタイム、シンボリルドルフ、アメリカのマジェステーズプリンスが追撃しますが、カツラギエースは二の足を使い、まんまと逃げ切りました。
伏兵・カツラギエースによる日本馬初のジャパンカップ制覇の快挙の中でシンボリルドルフはベッドタイムもわずかに捕らえきれず3着でした。
ちなみに1番人気のミスターシービーは「いつも」の最後方の競馬から10着に敗れました。


ミスターシービーには先着したものの、敗れてはならない同じ日本馬のカツラギエースに敗れたシンボリルドルフは、雪辱の舞台である有馬記念に臨みます。
ジャパンカップのレースから「後門」のミスターシービーより「前門」のカツラギエースの逃げ残りを警戒し、野平調教師が岡部騎手に「カツラギエースとマッチレースをしてもいいですよ」と言ったといわれます。
有馬記念では1番人気になったシンボリルドルフが終始カツラギエースの逃げをマークする2番手から直線抜け出し、レコードタイムで快勝しました。
カツラギエースは2着に逃げ残り、「最後方」ではなく「後方」から差したミスターシービーは3着でした。
結果的にこの年の有馬記念は、ジャパンカップの反省からカツラギエースを楽に逃げさせず2番手でマークしたシンボリルドルフの圧勝だったレースといってよいでしょう。

記念撮影では「4冠」を示す4本指を突き立てました。
シンボリルドルフはこの年の年度代表馬に選出されました。
シンボリルドルフは「世界への挑戦」を視野に入れ再びシンボリ牧場で「充電」します。

▽4歳
年が明けた1985年(昭和60年)3月31日、皇帝は中山競馬場のターフに再び立ちます。
もちろん圧倒的1番人気で迎えたレースは、シンボリルドルフが逃げ馬不在の中で逃げる展開になり、そのまま楽に4馬身差をつけて逃げ切ってしまいます。
同日に阪神競馬場で行われたサンケイ大坂杯でミスターシービーがステートジャガーに直線競り負けて2着に敗れたのとは対照的でした。

同年4月29日、天皇賞・春でシンザンに並ぶ「5冠」をあっさりと達成します。
2着には同じパーソロン産駒のサクラガイセンが入り、雪辱を期したミスターシービーは、菊花賞の時のように、早めにまくりますが、直線伸びずに5着に敗れます。
記念撮影で岡部騎手は「5冠」を示す5本指を突き立てます。
名実ともにシンザンに並ぶ「5冠」を達成したシンボリルドルフ・・・
この瞬間に競馬界は完全に「シンザンを超えろ」から「シンボリルドルフを超えろ」にキャッチフレーズが変わったのかもしれません。

「世界への挑戦」を決めていたシンボリルドルフ陣営は、6月2日に行われる宝塚記念を壮行レースと決めていました。
しかし壮行レースとなるはずだった宝塚記念をシンボリルドルフは直前に肩の故障で回避します。
この年は、シンボリルドルフの1歳下の同じシンボリ牧場生産馬・シリウスシンボリが5月26日の日本ダービーを制覇しています。
シンボリ牧場は2年連続日本ダービーを制する快挙を遂げ、和田オーナーはシリウスシンボリもシンボリルドルフとともに「世界への挑戦」を考えていました。
肩の故障で宝塚記念を回避したシンボリルドルフの「世界への挑戦」プランは白紙となりましたが、シリウスシンボリの「世界への挑戦」はそのまま実施されました。
(シリウスシンボリは足掛け3年、14戦に及ぶヨーロッパ競馬挑戦を行いますが、結局未勝利でした)


シンボリルドルフの復帰は10月27日の天皇賞・秋でした。
休み明け、天皇賞・春から6ヶ月ぶりの実戦で、東京2000メートルでは不利といわれる大外枠からの発走でしたが、ファンはシンボリルドルフの絶対的強さを信じ1番人気に推しました。
レースは久々のせいかシンボリルドルフが大外から掛かり気味に先行します。
レース展開はハイペースとなり、シンボリルドルフの先行でのレースは息をつかせぬもの・・・4コーナーでは先頭をうかがう勢いで暴走ともいえる走りのシンボリルドルフは直線に入ると先頭に立ち、あきらかな早仕掛けを思わせました。
シンボリルドルフをマークした有力馬のウインザーノットとニホンピロウイナーが末脚を伸ばします。
しかしここでシンボリルドルフは驚くべき底力と勝負根性でウインザーノットとニホンピロウイナーの末脚を抑え込みます。
シンボリルドルフ勝利と思わせたゴール前、その瞬間・・・シンボリルドルフを半馬身交わしたのが条件馬にすぎなかったノーザンテースト産駒のギャロップダイナでした。
当時のレコードで駆け抜けたギャロップダイナにはもちろん驚きましたが、私はシンボリルドルフに「
負けてなお強し」を感じました。
このレース後、シンボリルドルフは負けた悔しさからか馬房で涙を流していたといわれます。

(3歳時にカツラギエースの3着になったジャパンカップのレース後も馬房で涙を流していたとの話も・・・)

1ヶ月後のジャパンカップに駒を進めたシンボリルドルフは、世界の強豪を従えて1着でゴールインします。
2着にも日本の地方競馬所属のロッキータイガーが入り、日本馬のワンツーフィニッシュでした。
記念撮影において岡部騎手は5本指に1本の指を添えて突き立て「6冠」を示しました。

1985年(昭和60年)12月22日、シンボリルドルフにとって国内最後のレースとなった有馬記念・・・
最大の強敵はシンボリルドルフの1歳下で日本ダービーは骨折で出走できなかったものの、皐月賞、菊花賞の「2冠」を制し、「幻の3冠馬」おもいわれた「シンザン最後の最高傑作」ミホシンザンでした。
しかしシンボリルドルフ陣営はすでに「世界」に照準を合わせていました。
このレースを前に野平調教師は、岡部騎手に「直線で一杯に追ってください」とも「離して勝っていいですよ」とも言ったといわれます。
国内最後のレースだから「シンボリルドルフの強さ」を見せ付けましょう・・・といったところでしょうか。

直線に入ると「シンザン最後の最高傑作」といわれたミホシンザンに4馬身もの差をつけて優勝のゴールをしていました。
フジテレビの実況での盛山アナウンサーの
「世界のシンボリルドルフ、やはり強い!日本のミホシンザンを離す」、「日本でやるレースはもうありません」のくだりは感動的ですらありました。
記念撮影において岡部騎手は拳を突き上げています。
「日本」でやるべきレースを終え「世界」を目指すシンボリルドルフに7本指で「7冠」を示すパフォーマンスはもはや不要だと感じたのかもしれません。
当然のごとくシンボリルドルフは2年連続年度代表馬となりました。

▽5歳
1986年(昭和61年)3月29日、アメリカのサンタリア競馬場で行われたサンルイレイステークスの舞台に立ったシンボリルドルフ・・・
このアメリカ遠征は、アメリカからヨーロッパへと考えた和田オーナーとヨーロッパへ直接向かうことを考えた野平調教師と意見が対立し、両者の関係が決裂するアクシデントがありましたが、現地スタッフが中心となりシンボリルドルフはこのレースに臨んでいます。
レースはシンボリルドルフが6着に敗れる結果に終わり、レース中に故障を発症していたことも同時に発表されました
故障という不本意な形でレースを終えたシンボリルドルフは、世界再挑戦も検討されましたが、最終的には現役引退を発表しました。


▼現役引退後
シンボリルドルフは、種牡馬となりました。
シンボリルドルフは、初年度産駒から自身の競走能力を受け継いだトウカイテイオー(皐月賞、日本ダービー、ジャパンカップ、有馬記念)を輩出します。
その後もステイヤーズステークスを2回勝ったアイルトンシンボリなどの重賞勝ち馬を出してまずまずの実績を残します。
シンボリルドルフは2004年に種牡馬を引退しており、今後はトウカイテイオーにシンボリルドルフ系の将来がかかっているといえます。
1987年にJRA顕彰馬に選出されています。
産駒のトウカイテイオーも1995年に選出されています。



その他
▼血統
シンボリルドルフにはトウルビヨン5×5とファロスとフェアウエイの全兄弟による4×5の全血クロスがあります。
父系が異系のヘロド(バイアリーターク)系というのも魅力です。
パーソロンは和田オーナーが「衝動買い」に近い形で一目惚れで購入した種牡馬で、母の父スピードシンボリはシンボリ牧場の生産馬で有馬記念連覇、天皇賞・春を勝ち、海外挑戦の先駆けとなった名馬です。
ある意味でシンボリルドルフはシンボリ牧場の配合の結晶といえると思います。
個人的にはシンボリルドルフ系やメジロアサマ系などに伝わるパーソロン系の底力はパーソロンのブルードメアサイヤーであるファリス(フランスで3戦3勝、全て圧勝)から来ているのではと考えます。
そしてレースでの我慢強さはシンボリルドルフ自身のブルードメアサイヤーのスピードシンボリから受け継いだと思います。

▼総評
シンボリルドルフは勝ったレースの強さも印象にありますが、私が最も印象に残っているレースはギャロップダイナの2着となった天皇賞・秋です。
半年振りの実戦で東京2000メートルで不利といわれる大外枠、ハイペースで先行しレコード決着という普通なら惨敗もやむなしの展開で2着となったレースは「
敗れてなお強し」を印象付けました。
また「
名馬に惨敗はない」の格言を改めて思い起こさせました。
そして野平調教師の「
競馬に絶対は無いといわれるが(シンボリ)ルドルフにはあるのです」というシンボリルドルフへの絶対的信頼を示す言葉も印象深いものがあります。
なお、シンボリルドルフのレースの間にシンボリ牧場と野平祐二厩舎の間を行き来する調整方法は、外厩や短期放牧のはしりだといわれることもあります。

シンボリルドルフは、2011年10月4日に死亡しました。

30歳でした。

▽史上最強馬RANKING−日本(海外を含む) RANKING2位タイ


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■競走成績
開催日 開催国 競馬場
レース名

距離


頭数
人気
着順
斤量
着差

騎手
タイム

1着(2着)


1983.7.23 新潟
新馬

T1000


10

53
2・1/2

岡部幸雄
59.2

(ブロークンヒル)

1983.10.29 東京
いちょう特別

T1600


17

53
1・3/4

岡部幸雄
1.37.3

(エビスジョウジ)


1983.11.27 東京
オープン

T1600




55


岡部幸雄
1.39.9

(ハルーダ)


1984.3.4 中山
弥生賞

T2000
GV

14

57
1・3/4

岡部幸雄
2.01.7

(ビゼンニシキ)

1984.4.15 中山
皐月賞

T2000
GT

18

57
1・1/4

岡部幸雄
2.01.1

(ビゼンニシキ)


1984.5.27 東京
日本ダービー

T2400
GT

21

57
1・3/4

岡部幸雄
2.29.3

(スズマッハ)


1984.9.30 中山
セントライト記念


T2200
GV

10

56


岡部幸雄
2.13.4R

(オンワードカルメン)


1984.11.11 京都
菊花賞

T3000
G1

18

57
3/4

岡部幸雄
3.06.8

(ゴールドウェイ)


1984.11.25 東京
ジャパンカップ

T2400
GT

14

55
0.2秒

岡部幸雄
2.26.5

カツラギエース


1984.12.23 中山
有馬記念

T2500
GT

11

55


岡部幸雄
2.32.8

カツラギエース


1985.3.31 中山
日経賞

T2500
GU



58


岡部幸雄
2.36.2

(カネクロシオ)


1985.4.29 京都
天皇賞・春

T3200
GT

15

58
2・1/2

岡部幸雄
3.30.4

(サクラガイセン)


1985.6.2 阪神
宝塚記念

T2200
GT

10
取消

58
取消

岡部幸雄
(出走取消)




1985.10.27 東京
天皇賞・秋

T2000
GT

17

58
1/2

岡部幸雄
1.58.8

ギャロップダイナ


1985.11.24 東京
ジャパンカップ

T2400
GT

15

57
1・3/4

岡部幸雄
2.28.8

(ロッキータイガー)


1985.12.22 中山
有馬記念

T2500
GT

10

57


岡部幸雄
2.33.1

(ミホシンザン)


1986.3.29 米 サンタニア
サンルイレイS

T12f
GT



126p
10

岡部幸雄
2.26.8

Dahar


■5代血統図
Pharos(Fairway)4×5、Tourbillon5×5
パーソロン
Partholon
アイルランド
1960 鹿毛
Milesean
イギリス
1953 鹿毛
My Babu Djebel Tourbillon
Loika
Parfume Badruddin
Lavendula
Oatflake Coup de Lyon Winslot
Sundry
Avena Blandford
Athasi
Paleo
フランス
1953 鹿毛
Pharis Pharos Phararis
Scape Flow
Carissima Clarissimus
Casquwtts
Colonice Abjer Asterus
Zariba
Colonis Tourbillon
Heldifann
スイートルナ
千葉県
1972 栗毛
スピードシンボリ
北海道 新冠
1963 黒鹿毛
*ロイヤルチャレンジャー
Royal Challenger
Royal Charger Nearco
Sun Princess
Skerweather Singapore
Nash Light
スイートイン *ライジングライト
Rising Light
Hyperion
Bread Card
*フィーナー
Feenagh
Orthodox
Sempronia
*ダンスタイム
Dance Time
アイルランド
1957 鹿毛

Palestine Fair Trial Fairway
Lady Juror
Una Tetratema
Uganda
Samaritaine Maravedeis Massine
Argentee
Sarita Biribi
Lady Sarah


■ネットビジネス研究

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